関曠野『プラトンと資本主義』5

「ホメロスによると、化石化した社会構造は、それが醸成するイデオロギーによって人間を振りまわして己の道具とし、その自動過程の餌食とする。彼はこのことを、人間を幻惑し欺く神々の企み、彼らが人間に吹き込む狂気やよからぬ考えとして表す。迷妄と狂気なしには社会構造の暴力は存在し機能しえないのだ。したがって暴力を克服をするためには、あくまでも自己の判断に頼り、それによって事実を見極めていく個人の登場と成長が必要である。そのような個人はまず、腐敗した愚劣な社会構造から、激怒することによって自由にならなければならない。」

「ギリシア人は、過去の呪縛から解放された代償として、未来における確実な至福や救済を夢見る慰めを排して、ひたすら挑戦者として現在の試練に生きる道を選んだ。こうして競技の種族は未来の予見不可能性、状況を完全に支配することの不可能性及び意図と結果の背反の三原則を強調して、ギリシャ文化に悲劇的な性格を与えた。しかし悲劇的になるものの真の意味は、部族社会の絆と掟の個人の解放に他ならない。躍動する現在のうちにあり、常に一切を新たに始めるチャンスの到来を忍耐強く待ち受け、勇敢に運命に挑戦して止まない個人こそ、競技の文化の生み出す最高の作品である。」

「言葉の生命は、放任とは逆に、言葉を厳しい淘汰メカニズムに付することによってしか守護されない。次章で論ずるレトリックのような、言説に対する公的な淘汰メカニズムの不在こそ、現在の我々の言語を無力で欺瞞に満ちたものとしているのである。ポリスとは語りの場である。同等者支配の原則に基づくギリシャの直接民主制は、一般市民の権力への不信や利己的関心に動機づけられて成立したものではない。市民としての人間は、彼の同等者と言葉を戦わせる純粋な自己決定の主体であり、彼はこの事実以外の何ものによっても規定されない。彼は純粋に己の裡から公に語り出でる者、語り聴くことによって自分の本性を形成し、決定し、開示する者である。このようにギリシャの民主制は、人間を常に語る者として考えるギリシャ的人間から切り離すことができない。「人間は政治的な動物」にして「語る動物」である、と言うアリストテレスの有名な定義はこの事実のこだまである。」
関曠野『プラトンと資本主義』

現在の日本の劣化は、個人が発する言葉が響きあい、論じ合い、競い合う言語空間がないことがまず1番の原因としてあるのではないか。
日本を覆う言葉は、ほとんど金という唯一神に屈服した奴隷の言葉ではないのか。

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