西洋個人主義の起源と寅さん

「単独者としての修道士がヨーロッパの個人主義の原型です。神の前に立つ裸の個人、徹底的に無力であった、神の恩寵を期待するしかない個人。ヨーロッパの個人主義の原型は徹底的に無力な個人なのです」

「ヨーロッパの根本には無力な個人がある。だからこそ、ヨーロッパ文明は他の文明に類をみない厳格で緻密な官僚制を発展させたわけです。これは帝政中国の文人官僚制などとは次元が違うものです。資本主義経済は、個人が組織の歯車でしかない官僚制を前提としています」

「神の前に立つ裸の個人がヨーロッパの個人主義の起源ですが、近代ヨーロッパの個人主義はこの卑下に対する反逆という面があります。そこから近代ヨーロッパの個人主義にみられる独特の攻撃性が出てくるのです。個人は無力感に悩むがゆえに、一転して宇宙の支配者になろうとする。デカルトの「我思う故に我あり」では思考する個人は神にも似た世界の創造者になります。無力感に苛まれているからこそ、一転して反逆的、攻撃的な宇宙の支配者になろうとする。この経緯を押さえておく必要があります」

ふむふむメモメモという感じです。

「組織の歯車になるような個人を作ってきたのが、ヨーロッパ文明なのです。ヨーロッパ流の「個人の自由」の尊重は、必ず法律至上主義にひっくり返る。そして個人の自由を保障するためにも巨大で複雑な官僚組織が必要だという議論になってしまうのです。官僚制化で社会を非人間化させないためには、この世は義理と人情だ、日本の寄り合いや講のような組織でどこが悪いと居直る必要がある。日本の官僚組織や旧日本軍は「日本的」組織と非難されてきましたが、実は欧米モデルに洗脳された組織はではないでしょうか」

フーテンの寅さんこそが、西欧化し、官僚化し、コンプライアンスだ、アカウンタビリティだと、ルールを増やしていく日本への原日本人の居直りだったし、その精神はいまも日本人の中に息づいている。

関曠野『なぜヨーロッパで資本主義は生まれたか』


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