関曠野『プラトンと資本主義』6

「劇場権力すなわち法ではなく演劇を社会の統制手段とした事は、アテナイ人の聡明さと創意が生んだ前代未聞の産物であった。この創意に満ちた術作によって、民主制は市民たちに最大限自由で対等な権力を授けながら、しかも民主政体にありがちな不安定性、脆弱性、衆愚政治の危険を逃れることができたのである。」

「アリストパネスのとんでもない卑猥で尿臭い冗談と無遠慮にまき散らされた罵詈雑言を上回る権力は、アテナイには存在しなかった。本領においては繊細な叙情詩人であり強靭なモラリストだったアリストパネスは、その冗談と悪態の才によって、この都市の司法長官、検事総長、文部大臣を一身に兼ねる大任を果たしていたのである。法の本質は暴力を言説の討議に置き換えることにあるとするなら、アテナイ人は喜劇のお笑いによって、民主制の法と政治を完成させた。公共の治安と風紀の維持と言う、民主政治にとっては最も手ごわい、往々にして致命的な結果を招き寄せる課題を、彼らは劇場権力を介して、再び言葉の主権と言う原則の下に解決してみせたのであった」
関曠野『プラトンと資本主義』

笑いは、パロディであり、パロディとは、硬直し、パターン化し、当然のとされ、それゆえに誰もが問わない権威となって人間精神の自由を奪う無意識の力を、笑いのもとに白日に晒し、解放する。日本に真のお笑い芸人を出でよ! 少なくとも安倍政権とつるむ今の吉本からは出ないな。

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