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死は生と等価?

あーなんだです。

義理の父の容体が思わしくないという話を、今日見舞いに行った妻から聞きました。

■義父の容体

今日現在の義父の状況は、

・気が付くと寝落ちするように意識が薄れてしまう
・血中酸素濃度が80%台
・食べ物の味がせず、食欲がない
・字がまともに書けなくなった

という感じで、事前に聞いていた通り急激によろしくなくなってきてびっくりしています。

来週半ばには退院予定ということになっていますが、自宅でどこまで面倒が見られるか?

緩和ケアをしてくれる近くの病院の説明会に行ったり、介護のケアマネージャーとの打ち合わせをしたりと義理の母も忙しくなります。

妻とあーなんだも可能な限りバックアップするつもりですが、寝たきりに近い人の介護となると相当ハードルが上がるので、現実的にできることできないことの線引きが必要です。

■死を恐れるのはまだ元気な証拠

元気に生きている身からすると、死を恐れることは、本能にプログラミングされていて不可避のように思えます。

しかし、実際に死にかかっている人は、もはや死に対する恐れはあまりないように感じられます。

義理の父も酸素不足でボーっとしていて、それどころではないかもしれません(あくまでも勝手な想像です)。

それはある意味恩寵でもあるかと思います。
病院でずっと死ぬのを恐れているなんて、それこそ地獄ですので。。。

死が怖いと思っているのは、まだ元気な証拠なんだなと今回思いました。

■とにかく一旦退院して家に戻ってもらう

義父は病院でも酸素吸入をしているとのことなので、そういう設備のない自宅に戻るのは敷居がかなり高い感じです。

それでも一旦家に戻ってもらい、数日は滞在してもらいたいと考えています。

退院に合わせて近しい親戚も義父に会いに来るそうなので、我が家の子どもたちも連れていく予定です。

うまい具合にある程度回復してくれればいいのですが、さもないと会える最後のチャンスになるような気がしています。

■死は生と等価?

死んでもないのにこんなことを書くのもなんですが、死と生は現象としては等価。
一人の人間がこの世に生まれて現れ、死んで消える。
それだけと言えばそれだけです。

ただ、価値という観点からすると、生まれて死ぬまでいろいろと経験したわけなので、生より死の方が価値が高いと言えるかもしれません。

一人の赤ちゃんが世界に生まれ出る価値もかなり高いとは思うのですが、この世のシナリオをとにもかくにも生き切って、死まで到達することの価値には及ばないような気がするのです。


あーなんだは、死んだ後、親切な解説付きで自分の人生シナリオを振り返れるサービスがあるといいなと思っています。

できればあーなんだの主観ビュー、あーなんだが関わった人の客観ビュー、両方のカメラ映像を切り替えしながら振り返れればより役に立ちそう。
やらかした場面は即座にスキップできる機能もあるとなおよしです。

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