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あなたが望む世界を、今この瞬間から作り出せるとしたら、何から始めますか?

2023年も残りわずかというタイミングで、こんなテーマをもらった。

パッと口を衝くには難しいこの問いに答えるためには、まず「あなたが望む世界」について考えなくてはならない。
一体どんな世界を望んでいるのだろう。

再び出会った父の言葉

ちょうど1年前の今日は、マイコーチとのセッション終わりにこんなことを呟いていた。

セッションログを振り返ると、幼少期に無意識に貼られた「ちゃんとしている、良い子」のラベルと、それを糧に自分の居場所を築いてきた記憶。一方で、それらが大人になった今、見過ごせない歪みとなって出てきていることへの葛藤があった。

昼夜問わず働く母がもしこのまま帰ってこなかったらどうしよう、と幼心に常に抱いていた不安。思えば小学生の頃は言いしれぬ不安に駆られ、毎晩のようにベッドで泣いていた。同時に、困ったときにはまず一人で解決しようとする癖がつき、些細なことでも助けを求めたり無邪気に甘えてみたりすることにどこか抵抗を持ったまま育ってきた。

「私が母を守らなくては。」そうやってどこかヤングケアラー気質に育った私の不安や、自分で何とかしなければと鎧でガチガチに固めた心をきっと父は見抜いていたのだろう。厳密には血のつながりはないけれど、私の人生で一番長く父親として幼少期を傍で見ていてくれた人。

「もっと人を信用しなさい。」
5年ぶりに父の最期の言葉に出会い直したとき、しっかりしていない未熟なままを曝け出し、あれこれ考えずに自由奔放に過ごしたいと望む自分の内側に触れた。

そして、自分の中でぐるぐるしているベクトルを思い切り外に向ける1年にしようと心に決めた。

外を見続けるなかで捉えたもの

Pantai Karangの朝日

2023年のスタートは海外で迎えることにした。
バリ島での友人主催の年越しイベントに参加するという名目で、数年ぶりに搭乗した国際線。到着日は奇しくも父の命日だった。

現地での16日間は、友人たちと合流しつつ半分以上は一人での時間を過ごし、当初抱いていた若干の不安をよそに、非日常が肌に馴染んでいくのを満喫していた。
初日に空港まで迎えにきてくれたAirbnbのホストの甥っ子さんと仲良くなって、最終日には二人で地元の居酒屋に飲みに行ったりもした。母国語が異なる中で、拙い英語と翻訳ツールを駆使しながら、お互いの国の宗教とか経済とか、普段日本人とは話さないことまで延々と話をした。
ぼんやり憧れていた「海外で現地の人と楽しくコミュニケーションをとって過ごすこと」は意外と呆気なく実現した。

そんな幸先の良い幕開けを終えて帰国した1月7日。見慣れた自分の部屋に安堵しつつも ふと感じたのは「あぁ、また収まっていくんだな」という寂寥感だった。せっかく違う景色を見て高まったものが、元いたところに戻ってしまうような感じがした。

そして、そこから抗うように「収まりきらないうちに、定期的に海外に出る一年にしよう」と決めた。

1月  バリ、北海道
2月  長野
3月  スリランカ、静岡
4月  長野
5月  福岡
6月  長野、金沢、フィンランド
7月  福岡、熊本、台湾
8月  名古屋、岡山、五島
9月  長崎、佐賀
10月 奄美
11月 奈良、熊本

元々計画していた海外渡航以外にも、舞い込んだご縁には乗っかってみるスタイルで、国内も含めて気づけば毎月どこかに飛んでいた。

千葉に生まれて埼玉で育ち、これまで特に強い意志なく何となく東京に住んでいたけれど、やっぱり自然豊かな土地が好きなこと。また、友人たちと心置きなく過ごせるかけがえのない時間に、場所はさほど関係ないことなどを感じた。

初の欧州一人旅となったフィンランドでは、どこを歩いていても不思議な肌馴染みの良さを感じたし、たくさんの人との交流があった台湾では、今の自分に感じられる”楽しい”の上限値がなんとなく掴めてしまったような気もした。

印象的だったのは、3月に行ったスリランカのアーユルヴェーダ施設での出来事。
10日間の滞在中、定期的なDr.コンサルテーションに加えて、個々に合わせた1日4回のトリートメントと、体質に合わせた食事メニューが毎日提供される。滞在も終盤に近づき、額に温めたオイルを垂らすシロダーラの施術を受けたとき、目を覚ましたときの 脳みそを一回洗濯したかのような真っ新な感覚に「これが本来の自分の状態なのか」と感動した。

それから半年後、たまたまご縁をいただいた五島 福江島でのアーユルヴェーダサロンでも、南インドから移り住んだ施術者による脈診で『脳が働きすぎている』と再び同じことを言われた。脳を鎮静化するオイルを使ったトリートメント後は、また半年前と同じ感覚に「そうだ、これが本来の自分の状態なんだった」と再認識した。

求めていた居場所

奄美 宇宿の朝焼け

気の向くままに各地に赴く傍ら、毎朝30分〜1時間ほど瞑想をするようになったのは8月の終わり頃から。
自己流で2年前から数分程度は続けていたものの、たまたま同時期に複数の友人から勧められ、ネパール人の先生のもと一度体系的に学んでみようと思ったのがきっかけだ。
スリランカでも五島でも脈診のたびに『とにかくあなたはMeditationしなさい』と何度も言われていたことも大きかった。

初めの頃は雑念にまみれているうちに気づけば時間が過ぎていた。
次第に「雑念に囚われている状態」に気づくようになり、少しずつ集中に戻るまでの時間が短くなっていった。それから、その雑念がどこから来ているのかをじっくり観察するようになった。

瞑想と並行して毎日の生活においてもマインドフルネスを意識する中で気付かされたのは、いかに「今に必要ないこと」をあれこれ考えているかということ。
顔を洗っている最中に数時間後の会議で話す内容を考え、歯を磨きながらも1日の仕事の段取りを考えたり、かと思えばまた別のことを忘れないようメモしなければと思考を巡らせていたりした。

四六時中、マルチタスクという名の”ながら作業”の連続で、それは脳内でいろんなアプリを同時起動している状態そのものだった。
自分のケアをするための時間も常にどこか上の空で、なんて自分を蔑ろにしていたことか。

日々の生活の中でも少しずつ「今、ここ」に集中するように意識すると、例えば今の自分には前日にあった良かったことを反芻する癖があり、一方でそれは執着とも取れる。そこには恐らく、これから起こり得る嫌なことへの不安が隠れている。考えていることは大抵、過去か未来のことばかり。

そうやって瞑想や日々の内観を通じて「今」の心の声に耳を傾けるようになって数ヶ月経った頃、次第に幼少期の自分を癒せているような感覚を持つようになった。『不安だけど、あれこれ考えなくて大丈夫だから。』そう大人になった自分が言い聞かせることで、内側の自分がやっと安心していられるような。

きっと、どこかしっくりくる居場所を求めて彷徨っていた私が求めていたのは、心からの安心感だったように思う。そして、唯一のそれは外ではなく自分の中にあったことに今さら気がついた。こんなにも近いところに。
こうしてそんな未熟さを露呈できるようになったのも、その表れかもしれない。

心からの安心感を得ることで、自分を、そして人を信じる勇気を持つこと。
内側と深く繋がるからこそ、外にも本当の意味で開くことができるのだろう。そして、そんな開いたフィルターを通して映る外の景色は、これまでとはまた違って見えるだろう。

「今、この瞬間」から

五島 半泊の星空

あなたが望む世界を、今この瞬間から作り出せるとしたら、何から始めますか?

改めて冒頭の問いに向き直ってみると、今この瞬間に始めることは明白な気がする。

自分の内側と深く繋がること。
心臓の鼓動を感じ、この世に生を受けて以来一度たりとも休むことなく安定して脈を打ち続けることでいろんな経験をさせてくれたこの身体に、心から感謝する。そうして自分自身を癒し、安心させる。

また、これまでを振り返ると「出会い直す」というのも私にとっては大きな意味を持つのかもしれない。一度だけでは通り過ぎてしまうものも、時間をおいて再び受け止めることで、より手触り感を持って捉えられるのだろう。

そしてこれから先、私自身も誰かにとっての出会い直しとなれる日が来たら、これまでいろんな場面で教わってきたことの循環がやっとできる気がする。渇望していた自分自身に対して与えることができたのと同じように、必要としている誰かに自らを癒す力と安心感を。鎧で身を固める癖がついた誰かに。


あとがき

Maha Induruwaの夕陽

この一年を振り返ると、到底ここには書き切れないほどのたくさんの人たちとの楽しく温かい思い出で溢れているけれど、敢えてこのテーマで今の自分が向き合うべきことだけに焦点を当てて書いた。

外と内、安心と不安、解放と執着、過去と今、今と未来、
そんな対極を捉えながら自分の位置を辿ることが増えたように思う。

アドベントカレンダーに並んだそれぞれへの問いを眺めた上で 改めて私への問いに目を向けると、タケさんから「今この瞬間から作り出せる力がすでにある」というメッセージが込められているようにも感じる。
3年前、タケさんの元でコーチングを学び始めていた頃も一人で日本中を飛びまわっていたけれど、当時と今とではだいぶ変化した自分がいる。

今このタイミングで、かつての学びの場からこの機会を頂いたことに、心からの感謝を。

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