五感をめぐる冒険、あるいはアナログの逆襲 第4話
思い出の残し方(カメラの話)
わたしは、祖母の形見のフィルムカメラを使っている。わたしにとって、祖母と過ごした時間はとても重要で特別だったから、このフィルムカメラも、おなじく重要で特別だ。
遺品整理のとき、革のケースにおそらく祖母が書いたであろう彼女の名前を見たけれど、祖母からフィルムカメラの話なんて聞いたこともなかった。けれど、今の時代だれしもスマホで写真を撮るように、当時はそれがフィルムカメラだったのだろう。人はいつの時代も思い出を形に残したがる。
その日から、わたしは祖母の不在を埋めるように、フィルムカメラを持ち歩いた。動くか不安だったけれど、フィルムを入れたらシャッターは切れて、現像された写真はきれいだった。調べてみると、そのカメラは今から60年ほど前に発売されたものだった。そんな大昔に作られたものが、完全に動く状態で使うことができるなんて、アナログに作られた精密機械はすばらしいと思った。祖母が使ったもの今もなお使えていることに大きな意味がある。
もちろんスマホのように手軽にシャッターを切れないけれど、カメラを持つことでしか見えてこないものがたくさんあった。
何気なく感じていた自然光の美しさ、光が当たるところには必ずある影の存在、パソコンでは表現できない手書きの看板、街中を彩る数えきれない色、そしてそれらすべての構図。世の中は人間が作りだした形や色であふれていて、それを自然の陽の光がやさしく照らしていた。
フィルムカメラでシャッターを切って撮られた写真は、その瞬間の気温や匂いまでが思い出される。写真はピンボケでも、そのときを思い出すための情報量はデジタルよりも多い。
だからわたしは大切な時こそ、フィルムカメラで刻みたい。
(参考:「祖母のカメラ」)
つづく
長いのに読んでくれてありがとうございます。