パラドックスが溶けそう
パラドックスのことが頭から離れない日がある。
頭の回転がかなり遅いので、ひとつのパラドックスを飲み込むまでに何度も何度も命題を反芻する。殊数学的なことになるといよいよ頭がこんがらがってくるけど、その頭が好きで中毒になる。
勤めていた時、夢見るアドレセンスというアイドルの「おしえてシュレディンガー」というCDをデザインすることになり、シュレディンガーのことを調べていたら「シュレディンガーの猫」のパラドックスに行き着き、仕事どころじゃなくなったことがある。「生きている状態と死んでいる状態が重なり合った状態の猫の話」、考えれば考えるほど謎が深まって溶けてなくなりそう。
そもそも「パラドックス」の定義を考えるだけで頭から煙が出そうなんだけど、
偏頭痛の時にカフェインを摂取すると痛みがひどくなるけれど、緊張性頭痛の時のカフェインは鎮痛に有効らしく、どちらも持っている上に痛みの初期段階ではどちらの頭痛かわからない時があり、コーヒーを注ぐ手がついとまることもしばしば、
という至極どうでもいいパラドックスなら自分にもある。
一番最初に知ったパラドックスは忘れもしない、愛のパラドックスだった。『賢者の贈り物』という絵本で、
貧しい夫妻がいた。夫は、祖父と父から受け継いだ懐中時計を大切にしていて、妻は自分の美しい長い髪を誇りに思っていた。そんな二人は相手にクリスマスプレゼントを買うお金を工面しようとする。妻は、夫の懐中時計を吊るす鎖を贈り物として買うかわりに髪の毛をバッサリ切り落とし、売ってしまう。一方、夫は妻が欲しがっていた髪をとかす櫛を買うために、懐中時計を質に入れてしまっていた。
という話。
ここ最近おもっていたのは、杉田水脈議員が「女性はいくらでもうそをつける」と発言したことで思い出された「うそつきのパラドックス」である。
クレタ人のエピメニデスが「どのクレタ人も嘘しか言わない」と言ったことによるパラドックス。エピメニデスが真実を述べているとするとクレタ人はみんな嘘つきになり、嘘を述べていたとするとクレタ人はみんな正直になり、話の主体であるエピメニデスが正直か嘘つきかであることと矛盾する。
あのひとは、自己言及のパラドックスでもやっていたのか。
長いのに読んでくれてありがとうございます。