全ラジオ好きに捧ぐ非日記
夜中にときどき、男の笑い声が聞こえる。おそらく隣の部屋からだ。ある程度作りはしっかりとした鉄筋マンションのはずだが、分厚い壁を突き抜けて聞こえてくるので、かなり大きい声だ。
引っ越して三ヶ月が経とうとしているが、週に何度か、時間は決まってわたしの就寝時間に声の主は笑い出す。ずっと笑い続けているわけではなく、聞こえなくなったと思ったらまた笑い出す、という具合だ。しかもその笑い方がとても耳につく。ただでさえ不眠気味だと言うのに、安眠妨害だ。
つい先日の夜も、笑いが始まった。とうとう我慢ならず、その声の正体を突き止めてやろうと思った。
パジャマでベランダに出て耳を澄ますと、ぼやけていた声の輪郭がはっきりとした。やはり、左隣の家だ。
年齢はわたしと同じくらいだろうか?テレビらしき音も聞こえる。おそらくひとりだ。
しばらく聞き耳を立てていると、わたしは気づいた。
この声、聞き覚えがある…
おかしくて仕方ないと言ったような甲高く波打つ声に、その合間に急いでする下品な息つぎ。そしてまたはじまる波…。
腹をかかえて笑う様が目に浮かんだ。
絶対にどこかで聞いたことがある声だ。
あっ、とわたしは声を上げた。
ラジオだ…!
わたしは日々ラジオを聴きながら仕事をしている。いや、ラジオを聴くために仕事をしていると言ってもいい。大切な情報源であり、友であり、「お耳の恋人」である。単純作業をしながら聞くラジオの時間がなによりの至福のひと時である。わたしのデザインはラジオなしでは語れない。
聞いている番組はだいたい二十くらいで、その殆どが芸人のラジオだ。そのうちの二つ(水曜と金曜で一番組ずつ)を担当する、ある放送作家がいる。
彼はよく芸人のSNSでも登場する、若手作家だ。担当番組はそう多くはないものの、今後のラジオ界を担う重要人物になることに違いないとわたしは踏んでいる。
その放送作家の笑い声と、隣から聞こえる笑い声がとても似ていた。
彼の声は電波に乗っていても、毎回気になっていた。放送作家は演者と同じブースに入り、番組を盛り上げるために、マイクを通してやや大げさに笑うことがある。それが誘い笑いの役割も果たしているし、笑いどころをリスナーに示してくれる、大切な笑いでもある。
しかし、彼の高笑いはいつもわざとらしくて、気に入らなかった。
全然おかしくないところでも出るその引き笑いが、逆にわたしを冷めさせた。
あの人だ。笑い方がまったく同じだ。
もしかして、彼はラジオを聴いているのだろうか?
わたしは部屋からスマホを持ってきて、ラジオを流した。今夜は誰のラジオだったか。
普段リアルタイムではなくradikoで聴いているので、曜日を気にしていなかったが、その日は水曜日。彼が担当する芸人のラジオの日だ。生ではなく、録音の番組だ。
すると、ラジオから流れる放送作家が笑うのと同じタイミングで、隣の彼は大笑いした。
やはりだ。
もしかして、隣の彼は、自分が作った録音番組をリアルタイムで再び聞いて、また同じように笑っているのだろうか。番組で聞こえるあれは作り笑いではなかったのか。そもそも、現場で一度聞いた内容をまたこれだけ笑えるものだろうか…?
もやもやが残るまま、部屋に入った。そして相変わらずやまない笑い声とともに、眠れない夜を過ごした。
そして待ちに待った金曜日、彼の番組がはじまる少し前にベランダでスタンバイした。今日もまた芸人のラジオ(録音)だ。笑いはたくさんうまれるはずだ。
やはり、ラジオの中の放送作家と隣人は、同じところで爆笑を繰り返した。
確証はないけれど、たぶん、おそらく、本人だ。
そう思うと、急にあの笑い声への嫌悪感が親近感に変わった。
それから数日経ったある日。出かけようと扉を開けると、左隣に宅配便が来ていた。
「ヤマトです、◯◯さんでお間違いないですか?」
「はい」
受け取ったその姿は見えなかったが、苗字が放送作家と同じだった。
これで、疑惑が確証に変わった。隣に住んでいるのは、あの放送作家だ。
わたしはうれしくなった。
自分の作った番組を放送でも聴き、しかもそれで笑い転げている、真のラジオ好きに敬意を払った。それと同時に、笑い声を疎ましく思っていたことに申し訳なさすら覚えた。
彼のラジオ番組に投稿してみようかとか、ポストにファンレターを入れてみようかとか、何ならインターホンを押して一緒にラジオを聞きませんかと誘ってみようかとか、いろいろ考えたけれど、もちろんどれも行動には移せずじまいだ。
でも、毎週水曜日と金曜日は、ベランダに椅子を持っていき、必ずリアルタイムで彼の番組を聞くことにした。こちらから流れるラジオの音に気づいてくれたらいいな、なんて淡い期待を抱いたり、別に気づいてもらえなくてもいいかなと思ったり。
今日は金曜日だ。外でラジオを聴くには寒い季節になってきたけれど、ラジオから流れる笑い声と、隣から漏れ聞こえる笑い声とわたしの笑い声とで、今夜もまたにぎやかなひとときがはじまる。
みなさんもよいラジオ時間を。