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時代に即した旬なコンテンツ 『クィア・アイ in Japan』から、自分をどう認めるか考える

ここ最近、本屋でビジネスコーナーに行くと、「自己肯定」というタイトルが目にとまることが多い。女性ファッション誌でも表紙にどかっと書いてあるぐらいのボリュームで特集されたりと、最近よく見る言葉だと思っていた。自分も物を売る人間なので、気にしているのは日本は物質で満足する段階はほぼ終わりを迎えていて、承認や自己実現に欲求が向かってきているそうだ。
より精神的な自己実現に向かっているのは、SNSなどの影響でそれが表現できるようになったり、その影響でお金を稼げるようになったからこそなのかもしれない。マジョリティの時代から個性に移行し、いまは自分らしさを受け入れるということに自分探しが変化している感じか。

個性を探すって難しいし、そんな何者かになんかにならなくてもいいから、ありのままの自分を受け入れて、好きなものになろう。それ以外の他人の多様性も受け入れようぜって世界。

そんな社会の中で、外に表現する間口は開けたが、精神は個に閉じ始めている時代に自分を受け入れることができないというのはとても苦しいことだと思う。もちろん自分もその中のひとりだ。

そんな社会的背景の中で、Netflixのオリジナル番組「クィア・アイ」は時代のツボをうまくついた内容で、ことさらいまの日本で放送するにはグッドタイミングの番組だ。
ファブ5と呼ばれるゲイ5人組がひとりの一般人にフォーカスし(彼らはヒーロー/ヒロインと呼ぶ)、その課題をスペシャリティ(美容/料理/ファッション/インテリア/カルチャー)をもって解決していく。

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彼らのアプローチは、単純に見た目を変えるということではなく、自分を肯定することができるように、スキルをうまく使って形から受け入れやすいようにサポートしてあげるということだと思う。それは彼らの言葉の端々に現れていて「あなたはとても美しい」「自分をセクシーだと言ってみよう」といったまず認めるというところからはじまる。

彼らはちょっと太ったぐらいの子だとしても、「あなたはくびれがしっかりあって魅力的だ」と言い切る。それをしっかり活かしたファッションをしましょうと。そこにはデフォルト化された「良い」という概念なんぞ所詮多数派が生んだただの固定概念であり、世界には多様な「良い」があるということを教えてくれる。そしてそれをどう思うかは他人の意見ではなく、自分次第だと。

この番組を見ていると、思っている以上に参加者の最終変化値が薄いなと感じることがある。実際、彼らはスペシャルなスキルを持っているにも関わらず、瞬間的に別人に変化させたりはしない。
もちろんファブ5はきっかけでしかないので、その変化を続け、自走していくことができるように意識しているように見えるのは素晴らしいと思う。
(ただインテリアだけは素人には手を出しづらい部分なので、それなりの予算をつかって雰囲気はドカッと変えるがw)

この番組の余韻は、自分も変わることができるかもしれないという思いもあるが、翌日他人を受け入れよう、褒めてみようと思えることだ。ただ自分は思いだけでまったくできていないが…。

ちなみに自分についても考えてみると、カルチャー以外は自他ともにそこそここなしているように見えるのに、自己肯定感は低いままだ。

どうすれば自分のことを認めることができるようになるかと考えると、もうこういったことじゃ満足しないんだろうなとは思う。なにかにチャレンジし、成功体験を得ないと行けない。そのためにやるべきことは、なにか一つのものに向かってまっっすぐ進む努力なのか…?




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