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偏頭痛と秋の空
9月の残暑を乗り越えて大好きなパーカーを着れる季節になった頃。
毎年のように私の頭は偏頭痛に犯される。
夏から秋へと季節が移り変わるとき、気圧の乱高下が激しくなる。
愛用している「頭痛〜る」のアプリでは三日三晩グラフが下がり続けて「爆弾マーク」がついている。
⭐︎
今日は平日の仕事日。
昼間から重々しい鈍痛が脳内を支配していた。
こめかみにはピッケルを刺したような激痛が走り続けていた。
偏頭痛が重いと身体を起こすことすら鬱陶しくなる。
社用ケータイを手元に置いて上司へチャットを送る。
『偏頭痛が酷いのでお休みを頂きます。』
数分後に上司から連絡が返ってくる。
偏頭痛に理解をしてもらっているのでとてもありがたい。
私は社用ケータイの電源を切った。
「あぁ、もう今日は何もできないな……」
私はベッドに横たわりひたすら痛みに耐えていた。
加齢もあるのだろうか、年々症状は悪化するばかり。
スマホの液晶画面が目にうるさい。
ラジオの音声が脳に悪く響く。
いつも楽しませてもらっているコンテンツでさえ、暴力的なものに感じざるを得なくなってしまう。
「好きだったことがいつも通りに楽しめない」
このことが、私の心をエグり取る。
偏頭痛のせいで身体も不調になるし心も削られる。
秋の気候は好きな季節なのに、偏頭痛のせいで黒く塗り潰されてしまう。
⭐︎
時計は深夜0時を回った頃。
明日は早起きしなければならない。
頭痛が酷い状態でも無理やり寝なければならない。
頭痛外来の先生に処方してもらった強めの頭痛薬を飲んで無理やり布団に潜り込む。
眠気が来るかはわからないし、眠れるかもわからないが、これしかやることがない。
健康に生きていけるとしたらあと60年ぐらいか?
あと60年もの間、一生この偏頭痛を抱えて生きて行かねばならぬのか?
辛過ぎる、辛過ぎるんだよそんなの。
ベッドから起きがれないんだよ。頭が痛過ぎて。
1日24時間がほとんどベッドの上で終わるんだよ。
社会生活をまともに送れないほどの偏頭痛を抱えたまま生きていきたくないんだよ。
このままだと生きていくつもりがなくなってしまいそうだよ。
……………。
まぁね。まぁ、そうなんだけど。
いつまでもね、こんな落ち込んでばかりはいられないからさ。
偏頭痛が本格的に酷くなってきたのはここ数年ぐらい。
最初の頃は「痛み」の正体が原因不明でただただつらかった。
なぜか身体がダルい、なぜか身体が言うことを効かない。
偏頭痛で体調を崩し続けてしまうということにすら気がつけず、「元気に仕事をする自分」と「体調を崩している自分」にギャップが生じてしまった。
仕事のキャパシティーもわからなくなってしまって最終的には完全に倒れた。
こんな失敗を何回もした。
仕事でもプライベートでも、偏頭痛で精神が落ちた状態で人生の分岐点における大事な選択肢を選んでしまったことで、何度もベストではない選択肢を選んでしまった。
「低気圧のせい、偏頭痛のせい。」という言葉にしたところで、その人生は自分のものだ。
偏頭痛という体調不良を抱えながら、自分の舵を取らねばならない。
偏頭痛が根本治療することは基本的にない。
だからこそ、この偏頭痛と上手に付き合っていく必要がある。
⭐︎
私と偏頭痛の付き合い方の例として、まず1つめ。
偏頭痛のせいで悪い選択肢を選んでしまうのは、もう終わり。
偏頭痛があっても自分にとって後悔のない選択肢を取るようにする。
そのためには「今の私は偏頭痛がとても酷いので重大な選択を行わないようにする」という自覚を持つこと。
実体験として、偏頭痛が酷いときは思考が内側に入り込み大抵ネガティブな発想に陥ってしまう。
ネガティブな発想自体が悪いわけではないが、今後の人生を決める時にはネガティブに凝り固まらず、現状を俯瞰的に見る必要がある。
偏頭痛が酷い状態で決断せずに、自分のことを俯瞰して考えられる状態で選択をしていく。
これが、私と偏頭痛との付き合いかたのひとつ。
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偏頭痛で意識していること2つめ。
偏頭痛と付き合い始めてからはや数年。
「偏頭痛がないときの自分」と「偏頭痛があるときの自分」。
この2人が自分の中で同時に走っている。
敢えてそれっぽく言うのならば、「偏頭痛由来の多重人格」と言うのだろうか。ちょっと違うか。笑
「偏頭痛なし人格」の時はハイパー仕事できるモードなので、メインで担当している仕事もその辺りに転がっている仕事もバリバリとこなすことが出来る。
ずっとこのモードで居たいのだが、現実はそうもいかない。
しばらくすると、「偏頭痛あり人格」が身体に入ってくる。
メインでやっている仕事の打ち合わせにすら出れない、他の人のフォローもできない。
偏頭痛がなかった頃に引き受けた仕事が全く進められずに後悔する。
私はこの現状を打破するためにとあるカレンダーを作った。
「あなパン式頭痛カレンダー」だ。
気候の変化や季節の変わり目をチェックしながら「この時期は完全に体調を崩すであろうから仕事をセーブする」ということを実践した。
自分が体調不良を起こすことを前提に仕事を組むことでずいぶんと自分のペースで働けるようになった。
これは働きやすさの中でも大きな進歩だった。
⭐︎
私の「偏頭痛ありなし」の話だけではなく、人間なのだから偏頭痛以外でも体調の波は誰しもにあるのだろう。
みんながみんな、同じように体調の波と戦っている。
もう、偏頭痛を盾にして生きていきたくない。
偏頭痛を持った身体だからこそ、自分の仕事方法を確立して生きていかねばならない。
偏頭痛を言い訳に生きるのはもう終わり。
偏頭痛を受け入れて生きていく。
いつも体調を崩す時期に見る秋の空は頭痛の象徴のようであんまり好きではなかったが。
今年か、来年頃には気持ち良く秋の空を満喫できるといいな。
そのときは、もはや秋空の中に入りたい。
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