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滝行をしたら人は何か変わるのだろうか。
きっかけは友人からの連絡だった。
「ねぇ、滝に打たれてみない?」
誘われる前から滝行には興味を持っていた。
たまにテレビで映るリアクション芸人さんが震えながら打たれている様子や、八王子駅辺りの駅で見かける「滝行してみませんか?」という看板、登山に行ったときに見える大きな滝の様子。
あの滝の下には何があるのだろうか?
そんな興味が湧いてきたので私は1分後には「行きます!」という返事をスマホで送信した。
さて、行くとなったらどこの滝に打たれるか調べなければならない。
まずは「滝行 体験」と入力してインターネットで滝行ができる場所を探す。
ひとえに滝行と言えど、旅行代理店が計画するような「日帰り滝行体験ツアー」のようなものはなく、お寺の修行体験として実施されているようだ。
そして、どうやら滝に打たれる滝行だけではなく、半日修行体験といったものらしい。
お寺でお坊さんからあいさつやお百度参り、般若心経などを行ってから滝行を行うというものだった。
いくつかのお寺を探したあと、私達は目に留まったお寺のページで滝行体験を申し込んだ。
一ヶ月後、来るべき滝行に向けて少しは精進料理っぽい食生活にしようと思い、コンビニでサラダを買って食べ続けた。
☆
そして滝行の日を迎える。
10月上旬で急に秋めいた空気、天候は曇り時々雨。
精進料理を食べ続けることはすっかり忘れて朝マックで月見マフィンを食べた私はその足で集合場所へと向かった。
駅前のロータリーに集合した私達は車に乗り込み、コンビニで購入したカフェオレのストローを口にくわえながら高速道路をひた走る。
都会の景色は薄れていき、車内から見える景色は灰色の建物から深めの緑へと変化していく。
いくつものトンネルを通り抜けて山道のカーブで軽く酔いながら私達は目的地へ辿り着いた。
車から降り立った場所で息を吸うと山奥の澄んだ空気が肺まで落ちる感覚があった。
電話で予約をしていたお寺へ入ると丁寧な案内を受けたあとに大部屋へ通される。
座布団の上に座り、滝行を受ける上での注意点や何があっても自己責任という同意書にサインをする。
いよいよ滝に打たれるのか、そんな実感が湧くような者類にペンを進めることで若干の緊張感が心を抉ってきた。
周りを見回すとだいたい20人ぐらいだろうか、グループはバラバラなものの滝行を目当てに集まった人が一堂に介していた。
パッと見た印象は20〜30歳ぐらいの男女が多かっただろうか。
こんな山奥まで「滝に打たれる」というたったひとつの目的で集結した20人というまるで類を見ない集団だ。私もその集団の一部となっていた。
体験者が揃うと住職が登場してご挨拶と滝行に向かうための心構えを教えて頂いた。
滝行という困難に立ち向かうことで自己改新を行い、本来の自分自身の成長やストレスの解消などができるとのこと。
いざ滝を受けるときは山の神様に感謝して、水の神様にも感謝をして、滝を受ける。
あなた自身の本来の心と魂に耳を傾けることができる。
滝行とは、そういうもののようだ。
更衣室に向かうと白装束着が籠の中に畳まれていた。
東京から纏ってきたこのTシャツとジーンズを脱ぎ捨てて、この無感情な白い布に肌を乗せる。
自分の意志が何一つ入っていない衣装を着ることで自分の中の気持ちが滝に向けて切り替わっていくような感じがした。
更衣室から外に出ると同じような服装をした人物が20人並んでいた。
着飾ったワンピースも身軽なシャツも動きやすいジーンズもすべて剥がされる。
無機質な白い服を着るだけで人はこんなにも個性が殺されてしまうようだ。
服の生地も薄いので山の間に吹く風が地肌まで届き、より大きな自然を感じることができる服装だった。
徐々に「滝行」という大自然と向き合う舞台へと準備が進んでいく。
☆
滝行をする為の滝壺へ行くには少しの山道を登る必要があり、滝を受けるときにも身体の負荷があるので、身体の準備を入念にしておく必要がある。
みんなで輪になってストレッチと準備体操を行なったのだが、この行為に何か既視感があった。
思い返してみると、それは中学生や高校生のときの部活でみんなで輪になって準備体操をしていたときの記憶だった。
あぁ、みんなでこんなことをやっていたなぁ……。
白装束という同じユニフォームに包まれて滝行という困難に立ち向かっていくのは体育会系のソレだった。
僕は少しだけ「エモ」のようなものを感じた。
一通りの準備を終えたあと、お坊さんと共に滝行を行う場所へ向かうこととなった。
性別年齢多種多様な人々が白装束に身を包み山道を登っていくのはそれなりの宗教と思われる絵面だったと思う。
……まぁ、お寺の修行体験なので宗教なのだが。
☆
20人の白い人達がそれなりに険しい山道を歩いていく。
水に濡れるので入山するときに靴からサンダルに履き替えたのだがこれがとても歩きにくい。
足元は岩場が多く、川を何度も渡る道なので足が濡れて歩きにくい。
息があがる山道をサンダルで登ること10分。
もうこの時点である程度の修行をしているような気持ちになる。
どこからか水が強く飛沫を上げる音がする。
目的地が近づいてきたのだろう。
見上げるとだいたい10メートルぐらい頭上から水が重力に乗っかって落ちてきている。
水流とは凄まじいもので滝の水と水面がぶつかり合う衝撃により、暴力的な水音が場を支配している。
水飛沫が辺り一面を漂うのでスマホの画面には水滴がつき身体をじんわりと濡らしていく。
これから打たれる者に向けた滝からの洗礼のようなものだと感じた。
お坊さんから改めて説明を受けて身の回り品を整理して準備が整った。
滝行が、はじまる。
ここまでいっしょに歩いてきた仲間達といっしょに1列で連なり順番を待つ。
先頭に立った人間がお坊さんに手を引かれながら水面へ入っていく。まずは水に慣れるために桶で胴体と身体に川の水を浴びる。
10月の山水はそこそこに冷たそうで若干震えながらその水を浴びていた。
そして彼はいよいよ滝の下へと向かう。
その顔は強張っているように見えた。
滝行を受けるときはお坊さんから「常にお経を唱えなさい」と言われていた。気を失っていないかの生存確認の意味も含まれているが、気合が入るように叫ばせているらしい。
滝行を受ける者がその言葉を叫んだら、傍観している我々も同じ言葉を返すように伝えられていた。
今風に言えばコール&レスポンスのようなものだろう。ただ、それが大自然の前で滝行という危ないことをする上で大事な物なのだ。
上空から叩きつける水が全身にぶつかり、大きな飛沫をあげている。落ちてくる水の圧力に負けないよう両足に力を入れている。
時間にしては90秒ぐらいだろうか、お坊さんが修行者に手を伸ばして滝からこちら側へと引き戻す。
滝行という緊張感から解き放たれたのだろうか、彼の表情はどこか憑き物が落ちたような爽やかな笑顔だった。
ひとり、またひとりと滝行を行っていく。
不安な顔をした順番待ちの列があるのは富士急ハイランドのFUJIYAMA待機列と似た雰囲気を感じた。
ジェットコースターは安全が担保されているが、滝行という大自然を相手にした行為は無事に終える保証はない。
そうした不安定な環境がより一層と緊張感を高めているのではないだろうか。
その分だけ、滝行を無事に終えた人の表情は晴れやかなものになっていた。
そんなことを思っていながら友人が滝に打たれている様子をスマホで撮影していた。
☆
いよいよ私の順番となった。
自分が持っていた荷物を適当な岩に置いて、水の中へ足を踏み入れる。水流も相まって足の体温を容赦なく奪っていく。滝へ近づくにつれて水飛沫が身体に纏わりつく。滝の下に入る。
思ったよりも痛い。
両手を組む。
結構な勢いがある。
目を開けても案外平気。
足腰に力入れないと負ける。
寒い。
水に包まれている。
音が激しい。
自然と一体になるってこういうことなのかな。
結構寒い。
水シャワー思い出す。
意外と応援の声が聞こえる。
ちょっと慣れてきたな。
案外いけるかも。
豪雨を浴びるのに似てる。
ちょっと楽しくなってきた。
……手をそっと引かれる。
お坊さんに現実へ引き戻された感覚が強かった。
あぁ、滝の下はちょっとした別の世界だったのかもしれないな。
私の後ろに並んでいた人も無事に滝行を終えた。
緊張感が解けた感覚がその場を包んでいた。
濡れた服から乾いた服に着替えたあと、登ってきた道を戻っていく。
滝行で冷えた身体は歩くことで徐々に温もりを戻していき、アスファルトで舗装された道へ出る頃にはいつも生きていた世界に戻ってきたようだった。
☆
滝行をしたら人は何か変わるのだろうか。
何かが変わるとしたら何が変わるのだろうか。
都会へと戻る車中でゆっくりと考えようと思ったが、登山と滝行の疲れからかすっかりと眠ってしまっていた。
空気が濁った都市部の街に車を停める。
数時間までは山の草木と滝の水を浴びてマイナスイオンたっぷりの身体であったハズなのだが、都会のうるさいほどの光を浴びると気持ちは欲望へと傾いていた。
僕達はその足で水炊き屋さんに行ってアルコールを浴びた。
「疲れたあとのビールは最高だな!!!!!」
鍋で炊かれた肉と野菜をかっ喰らった。締めの雑炊は最高だった。
日付が変わる午前0時前後、ふらついた足で自宅の扉を開けて暖かいシャワーを浴びてそのままベッドに潜り込む。
今日の出来事をゆっくりと反芻していたが、疲れと滝とアルコールに満たされた身体はあっという間に眠りについた。
☆
翌朝、スマホの目覚ましを止めて、カーテンを開き朝日を浴びるとどことなく身体が軽い気がした。ゆっくりと眠れたのだろう。
平日の今日はいつも通りにパソコンを開いて顔の見えない仕事仲間とチャットツールで連絡をする。
……たった1日、滝行をしたところで何か変わるのだろうか?変わったのだろうか?
今の時点では何もわからないけれど、これからの日常でふと「滝行をして何か変わったのか?」と考え続ければ見つかるのかもしれない。
もうちょっと、滝行の経験について時間をかけて深掘りをしてみようと思う。思っている。
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