コウと関わる時に私が考えていること(前編)
先日、母と話していた際に「どうして子供を褒めることができるの?」と聞かれて「褒めている意識はなく、できていることに出来てるねと言っているだけだ」と答えたという話を描きました。
そのことから、私がコウに対してどのように考え、どのように接しているかを考えるようになりました。改めて考えてみると、「そういえばそうだな」と思うこともあり、「そう思ってはいたけれど、できてはいなかったかもな」と反省することもあり、改めてまとめてみようと思いました。
1.親(保護者)は圧倒的に不利な存在である
まず、コウに関わる上で私の根底には「親(もしくは親以外の保護者)は圧倒的に不利である」という考えがあります。
親がやらせたいことの大半は、子どもにとってやりたくないことです。片付け・宿題・健康管理・時間管理・etc・・・どれも「親が必要だと思っている」だけのことです。
子供は生活のあれこれを保護者に依存しています。そういう意味では子どもは弱い存在であり、保護者がそれを権力として行使するのであれば、親は圧倒的に有利な立場であるということができます。けれど、それをしてしまったら、子どもの生活を人質にして「思い通りに動け」と言ってしまっている状況になるわけで、「へっへっへ・・・こいつの命が惜しくば、とっとと動くんだな・・・!」と舌なめずりする悪役状態になりかねないわけなのですよね。
「やらないなら生活の保証を打ち切るぞ!」「言うこときかなきゃ見捨てるぞ!」というメッセージは出せなくて、でも親が子どもにやって欲しいことは子どもがやりたくないことで・・・そういう意味では親の立場って凄く弱いのではないかと思っています。
2.子どもは親の言うことを守らなくても困らない
そんな「子どもの生活をサポートし、保証しなくてはならない」親の言うことって、子供からすれば「ルールや約束を守らなくても最低限は保障されてしまう状況」の上を流れていく言葉なわけで、極端なことを言うと、別に守らなくても痛くも痒くもない言葉といえるのではないかと思うのです。
親が倫理的なことを守って動こうとすると、基本的に子供に与えられる拒否の姿勢が殆どないのですよね。体罰は論外、無視も精神的なDVになるだろうし、一度与えたものをやたらと取り上げることも「生活の全ては親に掌握されており『自分の物』もいつ剥奪されるか分からない」状況になってしまうわけで、それもやっぱりできない・・・
となると、「ルールや約束は破ったもの勝ち」になってしまうわけです。信用を失うことで次から約束はしてもらえないとしても、大体のルールは破っても通ってしまうところがあります。せいぜいで注意されたり叱られたりするだけです。
多分、多くの人が「仕事は大変だけど賃金は欲しい」とか「虫歯治療は痛いけど治したい」など物事のメリットデメリットを天秤にかけて様々なことを判断しているだろうと思うのですが、それはコウも同じだろうと思います。
●ルールや約束を守った場合 ⇒ めんどうな事をしなくてはいけない。我慢が必要。後で助かる可能性が高い。
●ルールや約束を破った場合 ⇒ めんどうな事をしなくていい。我慢をしなくていい。後で困ったり叱られたりする可能性が高い。
・・・ということを天秤にかけた時、コウにとっては不確実な未来よりも確実な今が勝つのだろうなと思います。
私自身、子供の頃「やりなさい」の苦痛が大きかったタイプなので、コウの気持ちもわからないではないというところがあります。私の場合は、言うことを聞くのが嫌(反抗的な気持ち)なのではなくて、「やらなくてはいけないと知っているけどやっていないことは、それを知っていてもやりたくないくらいやりたくないことだから」でした。
コウは、それプラス「最終的に何とかなるという経験(親が何とかする)」も関係しているのではないかと思います。
仮に「洗濯カゴに入っていない洗濯物は洗わない」というルールを設けたとして、汚れて臭う衣類を着せて学校に行かせるわけにはいきません。長期の休みで実行したとして、子どもが「それでもいいや」という選択をしてしまった場合、汚れて臭う子どもとの同居生活を耐える覚悟が親の側にも必要になります。謎の持久戦です。
そうなったらコウはある程度の時点で心が折れるとは思いますが、多分「僕が洗濯物をカゴに入れなかったからだ」とは思わずに「お母さんが洗ってくれない(意趣返しをされた)」と思うだろうと予想されます。
仮に「僕が洗濯物をカゴに入れなかったからだ」と思い至ったとしたら、「僕が悪いんだ、僕がダメなんだ・・・」と嘆き、現状を改めることはせずただただ凹んで終わることと思います。良くて時間が経って復活、悪くて自信喪失です。
そんな不利な状況を下敷きにした上で私がとっている行動は、基本的には「利益と不利益のアピール」です。説明したり、実感してもらったりしています。
次回は、コウと関わっていく上で私がとっている具体的な言動や、そのもとになる考えについて書いていきます。
コーヒーを飲みに行ったり本や苗を買ったりすると思います。