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【赤報隊に会った男】③ 第2の接触~「中曽根を全生庵で狙う」

鈴木邦男が「SPA!」の連載コラム「夕刻のコペルニクス」で描いた赤報隊との〈第2の接触〉。それはこんな書き出しで始まる。

中曽根康弘が首相の時だったから今から8年ほど前のことだ。“赤報隊”から手紙が来た。差出人の所には何も書かれてないが、「彼だ!」とピンときた。封を開けると、「次のどれかの方法で会いたい」と、日時と場所が3つ指定してあった。このうち都合のつく場所にいれくれ、そこに電話をするというのだ。今回は随分と警戒していると思った。朝日の記者を殺した“犯人”として全国手配されているのだから、それも当然だろうが。

「SPA!」1995年9月13日号「夕刻のコペルニクス」第45回より

スパイ映画のような密会劇

連載によると、鈴木が3つの日時の中から1つを選んで指定された場所に赴くと、そこに電話がかかってきて、警察の尾行を警戒するかのように2度3度と場所を変えさせられた。
まるでスパイ映画のような展開だが、そういうミステリアスな手順を踏んだ末、ようやく赤報隊らしき謎の男に会うことが出来たという。
その男は鈴木に会うなり言った。
「中曽根康弘は許せない。裏切り者だ。閣僚の靖国参拝をやめたし、教科書問題では中国、韓国の言いなりだ。これでは国のために死んだ英霊は浮かばれない。中曽根を殺してくれと英霊が叫んでいる」
鈴木が困惑していると男はさらに続けた。
「狙うんだったら全生庵しかないと思います。月に1回、中曽根はそこに座禅を組みに行きます。その時にやります」
さらにこんなことも言った。
「全生庵なんかすぐに入れますよ。僕はどこでも入れるんです。記者章のようなものを持ってますから……」
鈴木が「あの散弾銃を持って全生庵に忍び込むのは無理だろう」と返すと、男は落ち着き払って答えた。
「鈴木さんもシロウトですね。僕らは素手でも相手を一瞬で殺せる訓練を受けてるんですよ。武器などなくても構いません」
こうしたやりとりをしながら鈴木は、これほど完璧で芸術品のようなテロリストがむざむざ警察に殺されるのは惜しいと思った。そして、「ともかく気を付けろ。危なくなったらすぐに中止しろ」と忠告した……。

赤報隊の接触を描いた「夕刻のコペルニクス」第45回

以上が〈第2の接触〉のあらましだ。
116号事件に詳しい方なら、謎の男が発した「中曽根を全生庵で狙う」というセリフにピンときただろう。そうでない方のために少し説明しておく。

幻の中曽根康弘暗殺未遂事件

全生庵というのは、東京都台東区にある臨済宗の寺だ。
幕末維新の動乱期に国事に殉じた人々を弔うために建立されたという由来を持ち、中曽根康弘や安倍晋三といった自民党の大物政治家が公務のあいまにここで座禅を組んでいたことでも知られている。
この全生庵が116号事件がらみで注目されたのは、朝日新聞阪神支局襲撃から1年近くが過ぎた1988年(昭和63年)3月。
総理の座を退いて間もない中曽根の地元事務所(群馬県高崎市)に届いた赤報隊からの脅迫状の中にこんなくだりがあったからだ。

英霊はみんな貴殿をのろっている。わが隊は去年二月二七日のよる 全生庵で貴殿をねらった。うしろのかいだんからのぼって あとすこしで殺せたが 警官がおおかったので中止した。

中曽根事務所に郵送された赤報隊名義の脅迫状

これでおわかりだろう。
要するに鈴木は、赤報隊は中曽根暗殺計画を自分だけに事前予告していた、と「暴露」しているのだ。
そして彼はこの連載の中で、後に脅迫状の内容を知った時、あの男は本当に総理を狙ったんだ、そして、「危なくなったら中止しろ」という僕の忠告を聞いてくれたんだと感じた、と述懐している。
これが実話なら第一級の重要情報だ。
ちなみに、脅迫状に記された「2月27日の夜」に中曽根が全生庵で座禅を組んでいたのは事実である。ただし、このことは翌日の新聞の首相動静欄に記されているので、関係者しか知りえない秘密というわけではない。
脅迫状に書かれているような総理暗殺の危機が、この夜、本当に起きていたのかどうかは今もって謎のままである。

では、この〈第2の接触〉が実話だと仮定した場合、それがあった時期はいつだろうか。
例によって連載の中に日時は明記されていないが、前述の通り、鈴木は「中曽根康弘が首相の時」と書いている。中曽根の総理在任期間は1982年(昭和57年)11月~1987年(昭和62)11月だ。
また、記者殺害の犯人として警察に追われているから随分警戒しているようだ、という趣旨のことも書いているから、朝日新聞阪神支局襲撃事件(1987年5月3日)より後の出来事だということになる。
以上のことから考えると、この〈第2の接触〉の時期は、1987年(昭和62年)5月から同年11月までのどこかということになる。

次々と現実化する犯行予告

ではここで、これまでの話の流れを時系列で整理しておこう。
まず、1982年(昭和57年)秋から翌83年春までの間に〈第1の接触〉があり、謎の男が鈴木に「僕らは今度朝日新聞をやる。何人かには死んでもらう」と告げる。
すると直後の1983年(昭和58年)8月に朝日新聞東京本社と名古屋本社が何者かに放火され、「日本民族独立義勇軍」の名前で犯行声明が出された。
さらに4年後の1987年(昭和62年)には、朝日新聞の東京本社や阪神支局を狙ったテロ事件が連続発生。実際に若手記者が散弾銃で射殺され、「赤報隊」の名前で犯行声明が出された。
次に、この阪神支局襲撃事件があった同年5月から11月までの間に〈第2の接触〉があり、謎の男が鈴木に「中曽根康弘を全生庵で狙う」と告げる。
すると翌1988年(昭和63年)3月に中曽根事務所に「赤報隊」の名前で脅迫状が届き、「全生庵で貴殿を狙ったが中止した」という内容が記されていた。

このように、〈第1の接触〉でも〈第2の接触〉でも、謎の男が話した内容が、その後の赤報隊の言動となって現実化したわけだ。
なるほど、これらがすべて事実なら、「あの男が赤報隊だったんだ!」と鈴木が確信したというのも無理はない。
だが、驚くのはまだ早い。
この「夕刻のコペルニクス」では、さらなる赤報隊との接触エピソードが語られている。そして、そのエピソードには、鈴木の盟友である大物右翼活動家・野村秋介(1935~1993年)も絡んでくるのである。(つづく)

つづきはこちら→【赤報隊に会った男】④ 第3の接触

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