見出し画像

水辺のビッカと月の庭 十九 キルカの公園

キルカは再び壁の前に立つ。短い両手を一箇所に手を差し伸べた。
「ここがヒロムの出口だ」
壁だと見えていたところが扉になった。
「隠し扉みたいだ」
「三つあるそのうちの一つだ」
キルカは扉を開ける。小屋の光が左右に開いた間から前庭を真っ直ぐ一筋にさした。
「さあキルカの公園だ」
ヒロムの肩に手をやりかるく押しだす。扉を離れて歩を進めて行く。
ヒロムは辺りを見回す。小屋からの光が吸い取られるように弱くなっていく。
「でもここは公園らしくないね」
ヒロムは感想を述べる。
後ろ手に扉を閉めるとキルカは鼻をひくつかせる。目玉も上下やら斜めやらに動かした。
「ヒロム、きみは長居をしたみたいだ」
キルカは小声で言う。ヒロムの表情はこわばる。
キルカはヒロムの先を歩く。からだの光は小屋の中でより明るく感じる。うす暗かった一帯がキルカの光で障子を透過したような明るさになっていく。
キルカは右側を指差す。ヒロムは目を凝らして見る。欅の木が枝を大きく広げている。
「風は吹いてないよね」ヒロムは尋ねる。
「そよとも吹いていない」キルカが答える。
しかし、葉はざわめいている。小さな枝もこきざみに震えている。
「生きてるみたいだ」
「当たり前だろ」キルカは憮然とした声で言う。
ヒロムはバカなことを口にしたと笑ってしまう。
「生きている有様が少し違うだけなのだ」
「キルカ、面白いね」
木の葉がふわりふわりと落ちてくる。
キルカは手でそれを受け取る。ヒロムも腕をのばして一枚を手のひらで受ける。
「これ蝶みたいだよ」
キルカが手の平をヒロムに向ける。ヒロムは木の葉を渡す。キルカは2枚の木の葉を手の中で合わせる。二枚が一対になる。顔の前に持ってきて息を吹きかける。ひらひらと飛んで行く。ヒロムはその飛行を目で追いかける。
「こんなにざわめいているのは初めてだ。でもこれがキルカの公園だよ」
風も吹いてないのに木の葉がザワザワと揺れている。
「キルカの公園って?」
「公園のブランコから落ちた子は、直接ここに落ちることになっている。ヒロムは招かれてない客だな」
ヒロムはもう一度木の葉を手のひらに集める。キルカは落ちてきたどんぐりをヒロムの手におく。キルカが放り投げてみろと仕草で見せる。ヒロムは両手で思いっきり空に放つ。木の葉はどんぐりを吊り下げて飛行船のように飛んでいく。
「でも珍客で歓迎されている」
キルカは笑いながら言う。
「機嫌がいいわけ?」
ヒロムは尋ねる。
「ヒロムの噂でもしているのかな」
「機嫌が悪いときはどうなの?」
キルカは目玉を上下させる。
「一面の銀世界だ」
「雪が降るの?」
「季節に関係なくだ。この木も左半分はみずみずしい若葉で、右半分は紅葉だった」
「キルカは公園の主人なんだね」
「そうでもないさ。隅から隅まで知っていても、キルカの後では全く変わってしまうことがある。そうすれば振り出しに戻ってしまう」
キルカはそう言って鼻をひくつかせる。ヒロムは尋ねる。
「どこまで行くの?この公園抜けるとあの屋敷があるの?」
「今日の公園は予想外に広くなりそうだ」
独り言のように言う。
「ここに来た子はたいていほんのちょっとしたまちがいで落ちた子たちだ」
ヒロムは聞きながらトボトボついて歩く。
「だからたいてい送り返す」
「キルカが家まで送るの?」
「まさかそこまではしない。この公園は落ちたブランコの公園と繋がっている。だから玄関で出口を指さすだけだ」
ヒロムは公園の様子を見てふと思う。
「こんなに暗くて広いとなかなか出口に行きつかない子も多分いるよね」
「そうだな。一人では無事に公園の出口に辿り着けるとは限らない」
「帰れなかった子もいるの?」
「多分ね」
「どこへ行ったの?」
「まだ公園にいるよ」
キルカはそう言って先を急ぐ。
「だがね、月の庭のブランコから落ちた子はわたしの管轄外だよ」
ヒロムの表情がくもり、足が止まる。
「あの庭のブランコから落ちた子はどこに行くの?」
ヒロムは思い切って聞いてみる。
「はっきりとは知らない。直接キルカに変わってしまうという話もある。多分向こうでも落ちた子を待っているだろう」
ヒロムは足を止めて声を上げる。
「ねえ、キルカ、元の場所に戻りたいよ。ビッカとムンカが待ってくれてるよ」
背中にかけられる言葉を無視してキルカは進んでいく。
池のほとりまでくるとキルカは池に設けられた水車をゆびさした。ヒロムはたちどまって眺める。水車にくみあげられた池の水は、上がるたびに虹色に変わりそのまま空に吸い込まれる。空には星ひとつ見えない。でも水面には星が輝いている。
池が次第に広がっている。空に月はないのに水面には青い月がある。
「キルカ、キルカ、あれは月なの」
「違う。月擬きだ」
キルカは笑う。ヒロムは足早になってキルカに追いつく。
「まだなの。出口は?」
ヒロムは問う。
キルカはそれには答えない。
「キルカの小屋に入れば出口は別だ。入った所からは出られない」
ヒロムはとぼとぼとついていく。
「キルカに言えることは少ない。あの屋敷に戻ることだ」 
キルカは付け加える。
「ただし」
その言葉を聞いてヒロムは身をかたくする。
「ただし、何?」
ヒロムはおそるおそる尋ねる
「屋敷まで無事たどり着けるかどうかわからない」
やはりとヒロムは肩を落とす。「ただし」の後は厳しい条件がついてくる。
「前例がないんだ。キルカも知らない。ヒロムが最初だ」
「じゃ、ぼく行かない」
「行かないってどうするんだ」
キルカの足が止まってしまう。
「この公園でずっといる」
キルカの左右の目玉が同じ方向にグルグル回る。
「ここに居たいなんて言ったのはヒロムが初めてだ」
今度は反対方向にグルグル回る。
「キルカ、さっきから足がおかしいよ、動きが」
ヒロムの表情が青ざめている。
キルカはかがみ込んでヒロムの右足をさすりだす。
「どうだい痺れは?」
次に左足をさする。
「少しマシになったよ。ありがとう」
「グズグズしてたら全身に広がるぞ。急ぐんだ」
先にゆくキルカの足が砂場に入りこむ。ヒロムも後に続く。
砂場が盛りあがると金色の大きな鯉が夜空にはねる。一匹また一匹と、鮮やかな色の鯉たちが、はねては砂場に潜っていく。公園にあるものは震え、ざわめき、止むことがない。
ヒロムはその場に立ち尽くしそうになる。
「キルカ、まだ着かないの」
「そらさっさと歩くんだ。止まってのんびり眺めているときじゃないぞ。足をしっかりと動かすんだ」
キルカはおびえて動けなくなりそうなヒロムを叱咤する。そう言うキルカの足取りもそんなに速くはない。リズムが崩れて足を引きずりがちになっている。
「大丈夫、キルカ?」
大丈夫だとはキルカは言わない。
「わたしも公園の一部だよ」
前をいくキルカの背中を見る。金色に輝いている部分はすっかり減ってしまった。こげ茶色の部分が背中を覆い尽くそうとしている。
「私が案内できるのはここまでだ」
「ここで?」
キルカが足を止めた所から前方は何も見えない。暗闇の壁だ。明るい場所から暗闇の場所を見て、そこに出口があると言われてもヒロムはうなずけない。
背後にいたヒロムはキルカによりそうように並ぶ。心なしかキルカの背丈が縮んでいる。
「キルカ、これでは前に進めないよ。引き返そうよ」
横に立ったヒロムにキルカは言う。
「ここで間違いない。光の果て暗闇の始まりの場だ」
ヒロムはかぶりを振り後ずさろうする。
後ろに回ったキルカはヒロムを暗闇の中に押しやった。
ヒロムは戻ろうとする。
「動くな。そこでじっとしてるんだ」
キルカの声が重い響きでこだます。
「ここが出口だ。私はここまでだ。キルカは公園からは出られない」
キルカは動きを止めた目玉でヒロムを見すえる。
「こんなところが出口なんて」
ヒロムは頭を横に振りながら言う。
「出口でなければ、待ちあう場所だ。そう言えばどうだ?」
首を傾げるヒロムにキルカは話す。
「向こうも月の庭で落ちた子を探しているはずだ」
「ぼくを? 向こうって何?」
ヒロムはキルカの顔から視線を外さない。両の目玉が苦しそうに左右に動いている。回転でもない上下の動きでもない。初めての動きだ。
「何か隠しているでしょ」
「言えないことなの」
ヒロムは立て続けに言ってみる。
キルカはただ目玉を左右に小刻みに振るわせている。
様子がただ事ではない。背丈が縮み輝きを失いつつある。ヒロムは咄嗟に言った。
「キルカ、早く小屋に帰って。早く!」
小屋を出てからキルカにからだの異変が起きている。
「戻ってキルカを続けて」
キルカはその声を受けて小屋を目指して歩きだす。
遠ざかるキルカが変わっていく。体は金色の輝きを失いすっかり焦げ茶色に変化している。かろうじて残った頭のてっぺんだけが光っていた。二本足で立って歩くのも苦しそうにみえる。次第に前かがみになっていく。ヒロムはずっと目で追っている。とうとうキルカは四つんばいになってしまった。まもなくだった。小屋に着いたのだろう。黒いクレヨンで塗りつぶされたように、ビッキの公園は跡形もなく暗闇に消えてしまった。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?