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水辺のビッカと月の庭 二十三回  背中合わせのトッシュ Ⅰ

「ここが出口だ」とキルカは言った。キルカの公園の明かりの薄れゆく場。
キルカが小屋に戻ると明かりは海辺の砂浜にしみこむように消えていく。
次に暗闇が大波のように押し寄せてくる。
暗闇に包まれると天と地さえも不分明になる。
動こうとするとからだが傾きふらついてしまう。
真っ直ぐ立っていられない。
血の気が下がっていく。
ヒロムは膝を抱えて座りこむ。
キルカは「迎えが来る」と言ったが、いつ来るとは言わなかった。
探しているとも言った。しかしキルカは「動くな待て」と言った。
本当に来るのか来ないのか。来なければどうなる。
ヒロムは堂々巡りの不安の中で膝小僧を抱える。
夜の闇ならば一夜明ければ朝になる。
ヒロムは目を閉じる。心臓の鼓動が聞こえてくる。
自分の体だけが時を刻む。そして眠りこんでしまう。

空気の流れが頬にあたる。かすかな風が吹いてくる。
運ばれてきたのは苔の匂いだ。
湿った地面と岩を覆う緑の苔の匂いだ。
次は枯葉の匂い。何層にも積もってそこで溜め込まれた匂いだ。
目を閉じたままでヒロムは待つ。
今度は水の匂いだ。潮の匂いではない。水辺で嗅いだ匂いだ。
どこかに運ばれている。風の匂いが何度も変化したのはその証拠かもしれない。
次第に風が強くなり、ヒロムのからだを薙ぎ倒すように吹いてくる。
突風は、消防ホースから高圧で吐き出された水のように暴れまわる。前後左右から吹く風にからだが小突かれる。もっと小さくからだをかがみこませ突風をしのぐ。
あたりがほのかに明るくなる。風が暗闇を吹き飛ばし光を運んでくる。
ヒロムは瞼を通して明るさを感じる。眩しくて一度には開けられない。ゆっくり目を開ける。
一帯は象牙色した明るさに満ちている。目も慣れてくる。ここでは光に濃い薄いが見てとれる。象牙色した光が布のように揺れている。宙で揺れて綾をなしている。
オーロラのように揺れるにあわせて音が聞こえてくる。それは初め遠くから聞こえてきた。何かを叩く音。擦る音。人の声とは違う音。ただ前の方かと思うと後ろの方からも聞こえてる。右の方かと思うと斜め上からも聞こえてくる。いくつもの所から聞こえてくる。祭囃子でもなければ楽団の演奏でもない。
ヒロムは座りこんだ姿勢のままその音に耳を傾ける。次第に近づいてくる。音も大きくなる。誰かが音を立てて近づいている。ぞくっと鳥肌が立つ。
「だれかそこにいるの」
ヒロムは声をかけてみる。すると音の調子が変化する。物の音でなく声に変わる。歌っているつもりかもしれない。メロディーを奏でてるのだとしたらおそろしく調子はずれだ。
もう一度声をかける。
「いるのなら姿を見せて」
返答はない。声が大きくなる。何か歌っているようだが、調子は外れたままだ。耳をふさごうとしたが思いとどまる。この歌が迎えの合図か何かなら聞き逃せない。ヒロムは聞き続けるが終わりそうにない。キルカに下手に動くんじゃないとも言われていたが、立ち上がるだけならとヒロムは腰を上げる。
思いついたことを口にする。
「誰かを探してます?」
何も答えない。
「もしかしたら迎えですか?」
ちっともこたえてくれない。
目を凝らして音のする方を見る。きらりと一筋の棒のような線が現れ出した。
ヒロムは正体を確かめようと見る。ところがこの棒はじっとしていない。上下だったり左右だったりと動いて止まらない。サウンドバーさながらに音を出している。右斜め上から聞こえてきたときは低音でハミングするような音だ。調子っぱずれは変わらない。音はするけれど姿形が現れない。
キルカは迎えがくると言った。思い出したヒロムは言い直す。
「ぼくはキルカの公園からやってきました」
サウンドバーは目の前に移動してくる。はずれたメロディーを流し続けている。結構騒がしい。目の前で左右に動くが、それ以上近寄ってこない。キルカは迎えがどんな姿形をしているかの説明はしなかった。焦っている自分に気がつく。やり直しだ。ヒロムは言う。
「はじめまして」
「こんにちは」
「よろしくお願いします」
ひと言ひと言をはっきり言葉にする。
「ずっと待ってました」
突然だった。
「ケタケタケタタ。ケタタケタタケッケッケ」
メロディーがけたたましい音に変わってしまった。ヒロムの表情は険しくなる。笑い声に聞こえる。何か言おうとする気持ちが萎えてしまう。じっと目を凝らして見つづける。
動きが止まると棒の上部が膨らみだす。まず左右にふくらんでアーモンドのような顔が現れる。大きさは違うがテニスラケットに見えなくもない。顔もアンパンのようにふっくらしてくる。そこには二筋の目と一筋の口がある。目が開くとヒロムをにらむ。ギョロリと見開いた目は緑だった。後ずさるヒロムに怒鳴り声が浴びせられる。
「この下手くそボウズ」
全身から力が抜けてしまいヒロムは座りこんでしまう。
「ケタケタケタタ。ケタタケタタケッケッケ」
口は開いてないのに聞こえてくる。緑の顔の後方からだ。ヒロムは両手で耳をふさごうとする。
「ボウズ、どこから来たって言った? うるさくて良く聞こえないぞ」
ヒロムは自分の指で自分を指差す。頭を横に振りながら言う。
「ぼくは一言もしゃべってない。うるさい音は」
言いかけると遮られる。
「何度も呼びかけていたぞ。聞こえていたからな」
負けずに言い返す。
「それはひどい雑音のせいだ。そこから出ている」
ヒロムはゆっくりと相手の様子を見ながら指を指す。
緑の顔が笑みを浮かべる。
「赤のトッシュ、なにか言われたぞ」
それはくるっと回転する。現れたのは薄桃色の顔だった。
「この子かい。『待ってました』なんて言ってる子は」
ヒロムを上から下へとジロジロと見る。
「冴えない子だね。間抜け顔じゃないか。ケタケタケタタ」
ヒロムはポカンと口を開ける。初めから耳にしていた笑い声の主だ。笑っているうちに唐辛子のように赤みが増す。
キルカは一人だった。今度は一人なのに顔も口も二つだ。一筋縄では行きそうにない。ヒロムは口元を引き締める。
「気に入らないね。黙り込んで。それに座りこんだままなんて」
ヒロムはすぐに立ちあがる。足がガクガクと笑うように震えている。
「青のトッシュ、この子はどうしてここにいるのか知っているかい」
くるっと回って緑の顔が現れる。
「このボウズ、キルカの公園からきたって叫んでたぞ」
「ということはブランコから落ちたんだね。どうりでそんな顔してるよね」
赤とか青とか呼びあってくるくる回っている。青と呼ばれているのに顔の色は緑だ。
「キルカのところから来たのか」
「そうです」
ヒロムは嬉しくなってつい言ってしまう。
「喋っていいと言ってないぞ」
「口を挟むんじゃないよ」
緑と薄桃色がヒラヒラと回転して交互に言う。ヒロムは口をつつぐむ。
「キルカの公園から来たって?」
赤のトッシュが正面にまわる。
首を縦に振ってヒロムはうんうんと頷く。すると赤のトッシュの赤みが増す。
「怪しいね。どっかの別の公園のブランコじゃないの。どう思う、青のトッシュ」
くるりとまわって青のトッシュに代わる。
「本当にキルカのところから来たのか?」
「はい。キルカのところから来ました」
青のトッシュの細い目をかっと開く。
「呼び捨ては気に入らない。キルカさんと呼べ」
きつい口調で言われる。
ヒロムは緊張してうなずく。
「それなら知っているだろう。キルカの公園はどこにあった?」
「小高く盛り上がった土の家の中にあったよ」
ヒロムは自分が体験したことをそのまま話す。
「公園がそんな中にあるものか。カラカラカラララ」
ヒロムは本当だと言いたいのをたえる。緑の顔がぐっと睨む。
「なら、聞くぞ。キルカの姿形は?」
「大きなカエルに似ているよ」
「それだけか?」
「目がね、赤いんだ。ちょっとこわかった」
「そうか、目が赤くなったか。ほかにはどうだ」
「それにからだは金色だった」
ヒロムが答える。青のトッシュが言う。
「金色か。本当にキルカの公園から来たようだな」
ヒロムの表情が少し和らぐ。
「ちょっと待ち」
赤のトッシュが言う。
「青のトッシュ。勝手に進めるんじゃないよ」
反対側の薄桃色の顔が現れる。ヒロムをまじまじと見て言う。
「やはりどこか間の抜けた顔だね。ケタタケタタケッケッケ」
薄桃色の顔が笑う。
ヒロムはつとめて表情を変えない。
向こうを向いた青のトッシュが言う。
「当たり前だろ。ブランコから落ちたんだ。利口なはずがない」
「そうだよね。無理もない。この子はひとつしか顔がないものね」


続く


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