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「今昔物語集」 盗人・袴垂(はかまだれ)

巻のニ十九より、
「盗人の袴垂、関山に於いてそら死して人を殺しし語」

今昔物語集には多くの盗人が出てきます。名前を持つものは殆どありませんが、その中で「袴垂」と言われる盗人は二度ほど出てきます。
道長四天王と言われた藤原保昌の衣を狙って失敗した話があります。これは巻のニ十五に出てきますが、藤原保昌を引き立てる話と言えます。
今回は、袴垂が大赦をえて牢屋から出されたのちの話です。



検非違使庁の下役人に、
「恩赦だ。どこへでも行くがいい」
と牢を追い出された盗人たちの中に袴垂がいた。体も大きく力も剛力と言ってよいほどだった。力をかさにきて京の市で好き放題していた。食べても銭を払わない。ちょろまかす。程よい布があれば脅して巻き上げる。同じ盗人仲間にも分けることがない。舐めた真似をしてくれると売られてしまったのだ。
着る物もほとんどない状態で牢屋から放り出された袴垂は、高くなった都の空を見上げた。秋も傾き冬が目を覚ます気配だった。
「やい、お前たち、これからどうする」
「捨てやがれ」
帰るところがある者には相手にされなかった。
仲間を集めよう。賊を率いる頭になろう。袴垂は牢にいる間にそう決意した。もうケチな盗みや追い剥ぎはやめだ。誘ったものの何人かは度量を見てからだとこたえた。それもいいだろう。だれに従えば腹を満たせるか考えるのは当然だ。
 策はあった。袴垂は都を早々に離れ東国へと向かう街道に移った。関所のある山の道に入るとそこで下履きひとつの裸になって寝そべった。顔を見せないように背を向けて死体を装った。
通りかかった旅の者たちは、
「生きてるのか」
「死んでいるのか」
「からだのどこに傷があるのだろう」
「野垂れ死か」
口々に言いつつきみ悪がって遠巻きに離れてやり過ごす。それでも野次馬になって人垣ができるしまつだった。ちょうどそこに都から東国に向かうつわものが通りかかった。見るからに優れた馬に乗り、太刀や弓矢を調え郎党、眷属を率いていた。人の集まりに何事かと離れて馬をとめた。指図された従者は走って確かめてきた。
「傷も無い屍人だそうです」
これを聞いたつわものは、すぐに弓を手にした。それを見た郎党たちもすぐさま隊列を整え屍人から目を離さず通り過ぎて行った。
この様子を見ていた野次馬たちは、
「郎党眷属を率いたつわものが、屍人を見て怖がると大した武者だ」
と手を叩いて嘲った。
その後すっかり人達が去ってしまい屍人のまわりにもいなくなった。そこにまた馬に乗って武者が通りかかった。郎党も眷属も引き連れておらず、ただ一人武具を調えていた。そばに寄って馬上から弓を手に取って屍体をつつきながら、
「哀れなことだ。どんな死に方をしたのだろう傷も無さそうなのに」
弓が屍人のからだに触れると、いきなり弓をがっしと握られなす術もなく引き倒されてしまった。
「親の仇め、こうしてくれる」
袴垂はそう叫んで武者の刀を奪うや斬り殺してしまった。はぎとった水干袴を着て、弓と武具を身に帯び奪った馬に乗って東の方へと走り去って。
行く先には十人以上の牢からおわれた者たちがいた。彼らを仲間にして街道をゆく人たちの水干袴、馬、弓矢を奪いとった。こうして兵具を調え馬に乗せ郎党も二、三十人に増えて向かうところねじ伏せ奪い取っていった。
このような者たちはわずかな油断につけ込んで命も物も奪い取ってしまう。
郎党眷属を伴ったつわものは、弛むことのない賢明な武者であったが、村岡五郎平貞道と言われている。その名を聞いて武者の鑑であると納得したのだった。


今昔物語集を読むと「盗人の心」という言葉が何度も見られます。否定的なのはわかりますが、肯定的な用い方をしている文もあります。当時の感じ方考え方が伺われるのではないかと思います。


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