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中学受験 歴史の授業 弥生時代(1)

今回は弥生時代です。
縄文時代から弥生時代への移り変わりは、ある年にがらっと変わるわけではありません。まず土器が変わってきました。薄手で固くなった土器になりました。これは焼く温度が高くなったからです。どんな工夫をしたのか考えてみるのもおもしろいのではと思います。この土器は東京都文京区弥生町で発見され、場所にちなんで弥生式土器と命名されました。

弥生時代の特徴は、以下の二つです。
①、稲作が始まる。
②、金属器(青銅器、鉄器)を使用する。


、稲の実は米ですが、なぜ稲作が広まったのか。
三つほど理由があります。
一粒の種もみからのたくさんの米がとれる。
長期の保存ができる。
栄養が高い。

、この稲作が社会にどのような影響を与えたか。(教科書にはこれを調べるように書いています。)

稲作は、田植え、田の草取り、稲刈りなど、全て手作業で行われ、労力も時間もかかる共同作業でした。(機械化されたのは高度経済成長以降です。)見知った者たちで協力して生産していくうちにまとまったムラができていったと思われます。
水の引き方、田の作り方、稲の栽培の仕方など技術の分野や
ムラをまとめる指導者が生まれたと思われます。

米が安定してとれると人口が増えます。そのぶん食糧の増産に努めることになります。米を多く得ようとすれば、水田のための低地や水が必要になります。上流で水をとられれば争いになるでしょう。話し合いで平和的に決まったとは考えられません。争いがあったことが当時のお墓を調べるとわかります。一方が勝つと他方のムラを支配下に置きます。負けた方の人たちは低い身分となる。こうして小さなクニが生まれたと思われます。

、青銅器と鉄器が大陸、半島から伝わり、
青銅は銅剣、銅矛、銅鐸、銅鏡。
より硬い鉄は武器などに使用されました。戦に勝つにはより強力な武器が必要でした。

稲作の影響
ムラができる。指導者が生まれる。争いが起きる。勝ったむらが大きくなる。クニができる。指導者が豪族、王になっていく。
身分の上下と貧富の差がうまれる。

くらしと道具
耕すための木製のクワ、田んぼに入るときにはく田下駄、米を精米する臼(うす)と杵(きね)などがあります。

注意点;
ある教科書には、弥生時代の稲作の様子とムラのイラストが載っています。疑問点が二つ程ありました。
竪穴住居が水田の同じ高さの位置にある。これでは穴を掘ったら水が湧き出てきます。住居は水害なども考えて高台でしょう。
田植えの場面が、苗を植えています。初めの頃は種もみを直まきです。
稲がいっせいに実って黄金色になっていますが実際は実り様はまちまちです。石包丁で実った稲穂だけ切り取る穂刈りでした。
現代の稲作がわかりやすいのでこのようなイラストを採用したのかもしれません。

参考にした 教科書は東京書籍・日本文教出版・教育出版の三つです。


【補遺】
稲の渡来ですが、これは難しい問題だそうです。ただ稲は熱帯の植物ですから、南方からやってきたことは間違いないでしょう。
余談ですが、紀伊半島の最南端の潮岬を訪れたとき、ここは黒潮の流れる岬で、海岸に椰子の実が、ボロボロになっていましたが、そこここに漂着していました。
また、1970年代後半に中国の船が、中には動力を備えてない船までもが、不法入国を企て日本に来ていました。新聞に写真付きでしばしば出ていたものです。
黒潮にのれば案外と簡単に来れるのだと感心した覚えがあります。

現代の稲作では、一粒の種もみから、品種によって異なりますが、数百倍から千倍近い米がとれると報告があります。

弥生時代になっても食料を米だけに頼っていたわけではありません。一年に一度しか作れない米ですから、天候による災害のリスクは常にあります。縄文時代の食料に米が加わったととらえましょう。

【この記事は、小学校で使用されている三冊の教科書を基準にして書いています。中学受験を目指すお子さんと保護者向けです。】

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