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水辺のビッカと月の庭 二十七回 バスは夜の橋を渡る I

「後から来るって言ったけど、ビッカは信じてる?」
ムンカとビッカは停留所で、並んでバスを待っている。
話題は公園の整備員こと影男だ。一緒に行くと言ったのに姿を現さない。
「気が変わったんだ。きっと」ビッカが言う。
「今バスが来たらどうしよう」ムンカは気にする。
「乗るしかないさ」
「どこで降りるの」
「影男が教えてくれた目印がある」
「大きな木だって言ってたよね。どの程度なのかな。夜なのにわかるかな。バスから遠いと見えないこともありそうだよ」
ムンカは次々と心配の種を持ち出す。ビッカは目玉をクルクル回して答える。
「ほらあれバスじゃない」
両目を光らせたようにヘッドライトをつけて近づいてくる。
暗い街まで明々と照らしている。
ビッカとムンカはバス停の前に止まった車に乗る。
「止まったからこの車だよね」
ムンカは弾んだ声で言う。ビッカはふと不安を覚える。通りの向かい側にもバス停があるかもしれないと思う。「ビッカ、ムンカが来たよ」と言って誘われてからずっとムンカのペースだ。
「早く座ろうよ」
そう言うと通路の左側に空いている座席を見つける。
「ビッカもバスは初めてだよね」無理やり初めてにされてしまう。
車内には乗客は見当たらない。
「貸切って言うんだよね」ムンカははしゃぐ。
「ビッカ、運転する人だっていないよ。大丈夫?」
「おそらく全部自動運転だ。運行コースが決まってるから」
バスの室内の明かりは外に漏れる。
街並みを出ると路肩を照らす。
やがて路面から伝わってくる音が変化する。大きくこだますような響き方になる。
「あの、お二人」
か細いがよくとおる声が後ろから聞こえてくる。
ビッカとムンカはそろって後ろを見る。座席には誰もいない。
ビッカとムンカは顔を見合わせる。
「何か言った」
「ムンカこそなにか言った?
「でも聞こえたよね」
「ぼくですよ」
声だけがする。
「聞き覚えのある声だよ」
ムンカは後ろを振り返りながらビッカに言う。
「そうかな」
「もしかして公園の整備員でしょ」
気がついたムンカが言う。
「嬉しいなぁ」
感激の口調で答える。
「顔ぐらい見せろよ」
「待ってたんだけどバス停に来なかったよね」
ビッカとムンカは口々に言う。
「事情があるんですよ」
「知ったことか」ビッカは小声でつぶやく。
「バスに乗って出るところを見られたくなくってね」
「誰が見るんだよ」とビッカが言う。
「それって困ることなの?」とムンカが尋ねる。
「ぼくも色々とあってね」
ビッカとムンカはお互いを見る。
「公園の整備員って不自由なんだね」とムンカが言う。
作業着のフードがブルルッと震える。
「もったいぶらないで話せよ。どうして姿が見えないんだ」
ビッカはじっと声の方を見る。
「表情が見えないとビッカに言いたい放題言われるよ」
影男の輪郭らしいものは目にすることができる。
「今見えるように努力はしてるんです」
「努力ご苦労様」ムンカが言う。
「公園から遠ざかると影が薄くなるんです」
ビッカは左右の目玉を上下させる。
「聞けば聞くほど不自由だね。整備したブランコも乗って確かめられないし」
「ビッカさん、ありがとう。そうなんですよ」
影男の輪郭が青白く光る。
「騙されたのかと思ったよ」ビッカは素っ気なく言う。
「来ないのかと思ったよ」ムンカも心配そうに言う。
「まさかそんなこと、せっかくの機会を逃すなんて」
「そうかな。嫌がってるように見えてたけど」ビッカが言う。
頭のフードの青っぽい輪郭が揺れる。
「正直言うと迷いましたよ。でもバスに乗ることも水の屋敷にも行くことも、今を逃せば二度目はないでしょうね」
ビッカは素知らぬ表情で聞く。
「たいそうな決断をしたんだね」ムンカは言う。
嬉しいのか光の輪郭が一層光を増した。
「もしかしたらバスに乗るのは初めてなの?」
ムンカはなにげなく尋ねる。
返事がない。フードの輪郭が消えかかる。それを見てビッカは叫ぶ。
「乗ったことがないな! それって水の屋敷にも行ったことがないのと同じだぞ」
ビッカは素早く手を伸ばしフードをつかむ。
影男は驚いてギャっと声を上げる。
「痛かった? 乱暴は良くないよビッカ」
「痛くした覚えはないけどな」
ムンカに言われてビッカは手を離す。
「それで、乗ったことがないのと行ったことがないのは、本当?」
ムンカはのんびりと尋ねる。
「実を言うとビッカさんの言うとおりです」
「降りよう。ビッカ。今すぐ!」
今度はムンカがあわてる。ビッカは左右の目玉を回す。
「手遅れですよ」
影男はしれっと言う。
「手遅れって」
「どういうことだ」
「外の音が変わったでしょ」
ビッカもムンカも耳を澄ます。いつの間にかロードノイズが大きくなっている。タイヤと路面の摩擦する音が夜の闇にこだましている。

続く

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