見出し画像

水辺のビッカと月の庭 二十九回 バスは夜の橋を渡る Ⅲ

影男は申し訳なさそうに言う。
「次の停留所で降りなくちゃいけないんです」
影男のフードが弱々しく光る。そのうす青い光を見てビッカは言う。
「そうか。事情がありそうだ」
ムンカは声の調子に切実さを感じる。
「どうして?」
「約束があって」
ビッカとムンカは影男を見つめる。
影男はきっぱりと言う。
「以前からの約束なんですよ。やっと果たせるかも知れない」
興奮しているのかフードが薄赤く光る。
「前も言いましたよね。整備員はブランコに乗ってはいけないって」
ビッカもムンカもうなずく。
「お互いの約束なんです」
「こんな夜に行っても大丈夫なの」
ムンカが尋ねる。
「だれとの約束だ?」
ビッカも尋ねる。
「見てくださいよ」
影男は作業着の腕をのばす。
「蜜柑畑じゃないか」
ビッカが答える。
「段々畑の下です」
「なんなのあれ」
フェンスで囲まれていて中が見えない。
「遊具の置き場です」
「遊具の置き場?」ムンカが繰り返す。
「捨て場じゃないの」ビッカが言う。
「いえ、置き場です」
影男はキッパリと言う。
「あそこに約束の相手がいるの?」
ムンカが尋ねる。
影男のフードが勢いよく光る。
「遊具は備品なんですよ。鉄なら錆びるし、木製なら雨風で腐ります。そのままにして、もし子供たちに怪我でもさせると」
「で、何が言いたいの」ビッカが尋ねる
「まだ動ける。少し修理すればいいものまで期限が来たらお払い箱です」
「それがあそこに有るわけだ。まるで廃棄処分前の放置自転車だな」
ビッカが言う。
影男はフードを揺らして答える。
「処分される前に修理すると約束したんです」
「それでもう一度出番が回ってくるの?」ムンカが尋ねる。
「ええ、元の公園には戻れなくても」
「間に合うといいね」ムンカは言う。
「どこかへ連れていくわけだ」ビッカが言う。
「あては有るの」ムンカが尋ねる。
フードの縁が青白く点滅する。
影男は降車のボタンを押しながら言う
「お二人に感謝です。決断がついたのはお二人のおかげですよ」
「元の整備員に戻れるの」ムンカが尋ねる。
影男のフードが揺れる。
「戻れないからずっと延び延びなんだよ」
ビッカが代わりに答える。
影男はバス停に降り立った。光る雨がからだを濡らす。作業着が、フードが、光りだす。

「行っちゃったね」
ムンカがポツリと言う。
ビッカも信じられない面持ちでバスの外を見る。
バスは小高い丘の斜面を登っていく。
「これってミカン畑だよね」
段々畑を見てムンカが尋ねる。
「多分ね」
気のない声でビッカは答える。
バスは次第に高度を上げる。囲ってある場所が下に見えてくる。
「ほら見えるよ。フードが光っている」
窓に顔絵をはりつけるように見ていたムンカが言う。小さく光っている。
思いのほかその場所は広く見える。ビッカはボソリと言う。
「あんなに広くて探し当てられるのか」
ビッカの心配をムンカも感じとる。
「約束してるのだから、あんなに広くても会えるよ。きっと」
ビッカもうなづきながら言う。
「あれだけ光っていたらブランコも声をかけてくれるかもな」
「ヒロムとは約束してないね」
ムンカが言う。
ビッカは、何も答えない。
口数が消えていく。
バスは斜面を登り切った。


続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?