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水辺のビッカと月の庭 二十二回  ここにいないヒロム Ⅲ

影男の作業着までも膨らんだりしぼんだりする。じっと見ているムンカが尋ねる。
「気になることがありそうだね」
フードがムンカの正面にむく。
「不思議なところだ。ボクが知る限り一度だって落ちたことはない」
真剣に聞いているムンカが口を開く。
「公園でなくてどこか別の場所ってことだね」
「そうなるなぁ」
影男がつぶやくように言う。
「心当たりは?」
ビッカは強い口調で言う。影男は作業着の中のからだを震わせる。ムンカは尾っぽで影男の腰あたりをたたく。
「ヒロムと会ったとき、そそのかしていたよね」
ムンカは強い口調で問いつめる。
「人聞きの悪い言い方をする」
「いやそそのかしていた」
影男は言葉が出せない。
「ヒロムに揺らしてほしいブランコがあるとか言ってたな。あれはどういうことだ」
ビッカも思いだす。
「揺らせる子が滅多にいないっていうブランコのことだよ」
ムンカが言う。
「揺らせれば大したもんだなんても言ってたよな」
ビッカも言う。
「滅多にいないって言ってたけれど、揺らせる子はいたの?」
ムンカは食い下がって聞く。
影男は首を横にふる。
「ひどい!」
「どうしてそんな揺れないブランコを勧めたんだ」
ビッカもたたみかけてくる。
詰め寄られて影男は答えざるをえなくなる。
「ただうらやましかった」
ボソリと言う。空色の作業着の中でからだがちぢこまる。
ビッカの目玉はグルグル回り出す。
「いったいどうして。何がうらやましい?」
あきれ声でビッカが言う。
「ヒロムは気持ちよさそうに、楽しそうに揺らすんだ」
「それが悪いことか?」
「耳にあたる風はメロディーになるって言っていた」
「それヒロムから聞いたような気がするよ」
ムンカが言う。
「埃っぽい空気が良い香りに変わるって」
「それらしいことも聞いたかな」
ビッカが言う。
「見慣れて飽きてしまった風景だって変わるらしい」
「その話は確かに聞いた」
「でもうらやましいと結びつかないね」
さめた声でムンカが言う。
影男は大きく深呼吸して言う。
「ボクはブランコに乗ったことがない」
ビッカとムンカは顔を見あわせる。
「整備員はブランコに乗ってはいけないんだ」
残念そうで、ぶっきらぼうな言い方だ。
「整備した後に、乗ってゆらしてみないとわからないだろ」
ビッカが言う。
「それが決まりです」
影男はフードをを揺らしながら言う。
「そいつは気の毒だ」
ビッカは左右の目玉を上下させながら言う。
しかし、ムンカの表情は険しくなっていく。
「揺らせないブランコにヒロムを乗せてどうしようと思ったの」
ムンカに問いつめられて影男は答える。
「ただ困らせたかった」
「そんなことが理由なんて」
ムンカは呆れる。
「ちっとも揺れないブランコの上で自信をなさそうにしている姿を見たかった」
ムンカはひと言も言わない。
ビッカは左右の目玉を一緒に上下させる。ひと呼吸おいて言う。
「あんたの目論見は半分は外れだ」
「というと」
影男が言う。
「ブランコは揺れたんだよ」
ビッカが答える。
ムンカは尾っぽを振りながら言う。
「そうだよ。だから親水公園にヒロムは落ちてきてしまった」
影男はかぶりを振りながら言う。
「いや、そうすると半分じゃない。全部外れてしまった」
影男はうなだれる。
「あの子がブランコから落ちるなんて信じてなかった。揺れなければよかったのに」
「確かにちっとも動かなければ落ちることもなかった」
ビッカが言う。
「今ヒロムはどこにいるか見当がつく?」
ムンカが尋ねる。
「公園のブランコから落ちるとどうなるって?」
影男はムンカとビッカの問いに、大きく息をして準備する。
「ボクはキルカに会ったことがない」
ビッカの目玉は回りだす。作業着の中のからだが震えだす。
「本当ですって」
そんな慌てぶりにムンカはふきだす。
「でも長くやっているよね、整備員」
影男の作業着が膨らんでいる。
「この街にひとりだけじゃないよね、整備員は?」
「ひとりだけ。ボクはいくつかの町のも兼ねている」
「でも仲間だっているよね」
影男はうなずく。
「それなら色々と報せが入ってくるはずだ」
ビッカが言う
「仲間から聞いた話なんかがあってもおかしくないよね。何か聞いてない?」
ムンカが尋ねる
「ブランコから落ちる子は毎年いるよ」
うんうんとうなずくムンカ。
影男はその様子を話す。
「小さい子たちは油断してポテっと落ちて泣き声を上げる」
「確かに幼児ならポテっとだね」
「そんな子たちの落ちる音は大して大きな音じゃない。落ちてもキルカの目こぼしにあう」
「キルカに会えば小さな子なら泣き止まないよ、きっと」
ムンカが言う。
「怖い顔してた?」
影男がビッカに尋ねる。
「見てない」
ビッカはぶっきらぼうに答える。
「それに表情が険しくなると醜いよ」
ムンカは愉快そうに言う。ビッカは聞いてないフリをする。
影男はビッカの顔を見る。
「仲間から酔っ払い男の話を聞いたことがある。酔いでもさますつもりかブランコを揺らしたらしい」
「そらきた、ムンカ。手がかりだぞ」
「黙って聞いてよ」
「派手に音をたてて落ちたらしい。整備員が駆けつける前にもう地面が盛り上がって小屋の窓、入り口から飲み込まれたっていう」
「知りたいのはその後だ。帰ってきた? その男」
影男は首を横にふる。
「嫌なことになってないかなあ」
ムンカは心配する。
「二度と公園に来なかったというだけもしれない」
影男はそう言う。
「酔っ払いだったんだろ。大人の男はブランコを揺らさないさ」
影男の作業着がブルブル震える。
「でも、こんな話がある。その仲間が見た話だよ。大きなカエルのようなからだをした赤い目玉の生き物がその公園のブランコにポツンと座ってたというんだ」
「ムンカ、どう?」
「姿からするとキルカだと思うよ」
「仲間の考えだと、小屋にはいる前に名残りを惜しんでいたみたいだって」
「なんだ、それ。酔っ払い男がキルカにでもなったって言うのか」
「良くわからない」
作業着の中でからだが震える。
「なんの手がかりにもならないな」
ビッカはため息まじりに言う。
「ずっと震えているけど、何をそんな気にしているの」
「どうせ自分のことだろ。話しな、何が怖いんだ」
ビッカがうながす。
「ボクのせいで、それも公園以外のブランコから落ちたことが、キルカに知られると‥‥」
「知られるとどうなる?」
「何か罰を受けるの?」
「多分咎められることは避けられない。実は整備員は揺らしている子に話しかけてはいけないんだ」
「やっぱり何かあると思った」
ビッカはうなずく。
「それよりキルカに連れ去られているヒロムだよ。どうなるの?」
ムンカが尋ねる。
「公園のブランコから落ちたらキルカが直接回収する。でも落ちたところが違えば」
「我々の親水公園だ。見つけたのはムンカだよ」
「公園以外のブランコだとわかれば、キルカはヒロムを追い出すはず。管理権がないからね」
「追い出される!どうして。家に返さないのさ。この公園だってあるのに」
ムンカは強い口調で言う。
作業着の中で影男のからだが震える。
「それって捨てられたみたいだなぁ」
ビッカは辛そうに言う。
影男の空色の作業着から青がぬけて白っぽくなる。
「あんたを咎めにキルカが姿を見せれば小屋に乗り込んでやろうと思っていたのに、その可能性もないのか」
ビッカはため息をつく。
「ヒロムが追い出されるとしたらどこに出される? その場所が知りたい」
ムンカは尋ねる。
影男は作業着の中でうなだれた様子で言う。
「それもわからない」
「あれもこれもわからないじゃ期待はずれだよ、全く」
ビッカの赤い目玉に異状が浮かぶ。
「ビッカどうしたの。目玉に黒い筋が浮び出てる」
「一晩も経ってないのに老化が進んじゃったんだ」
ビッカは腹たちまぎれに言う。
影男は落ち着きを取り戻す。作業着に青みが戻り話しだす。
「振り出しに戻るかもしれない」
「苦しまぎれの思いつき‥‥」
とビッカが言いかけたところでムンカがさえぎって尋ねる。
「それってヒロムがブランコから落ちた場所だよね」
ムンカは念を押す。
「しかしまるで双六だな。初めからやり直しか」
「でも可能性があるわけだよね」
興奮気味にムンカは尾っぽをふる。
影男が言う。
「ただし、」
ビッカがすぐさえぎる。
「おいおい『ただし』は聞きたくない。その後に来るの言葉は良かったためしがない」
「それでもいいよ、話して」
「キルカのところを追い出されてもすぐにあの場所に戻れるとは限らない」
「そこはどこにあるの?」
「ある屋敷の庭だよ。月の庭って呼ばれている。風変わりなブランコがある所。ゆらせて欲しそうな風情で風に揺れているんだ」
「どうして『月の庭』なんだ」
ビッカは夜空を見上げながら言う。
「月は毎日姿を変える手に負えない星だ」
ムンカは笑う。
「その月の庭はどこにあるの?」
「隣り町だ。新月の日にしか姿を表さない場所だよ」
「真っ暗な夜じゃないか。やっぱり手に負えそうにない」
「最後まで聞きなよビッカ。別に夜だとは言ってないよ。まずその屋敷に行けばいいよね」
「その屋敷は隣り町のどこにある。まさか月のように宙に浮いているわけじゃないよな」
「谷川の水が庭にひかれている屋敷だよ。裏山から取り入れている。水の屋敷って言われている」
「そこに行けば会える可能性がでてくるわけだ」
「すぐ行こう。案内してくれる?」
ムンカがそう言うと影男は作業着の中で震えだす。
「いつも震えているばかりだよな」
ビッカが呆れて言う。
「でもボクはヒロムに場所は教えてない」
「教えてなくてもヒロムが落ちたことは間違いない。その原因は」
と言ってビッカは作業着の中の男をにらむ。
「それよりビッカ、今はブランコのある場所だよ」
影男は思い出したことを言う。
「ヒロムはブランコマップを作っていたかもしれない」
「どういうこと?」
ムンカが尋ねる。
「隣り町のどの公園にどんなブランコがあるまで知っていた」
「やってそうだね」
とビッカが言う。
「あんなに詳しく知っているのは調べていたからだ。ボクの考えがあさはかだった」
作業着の中でからだが縮こまる。
「手遅れだよ」
ビッカが言う。
「冷たい言い方しないでよ」
ムンカは怒る。
「あそこまで夢中になっていたとは」
「責任感じるよね」
ビッカが決めつける。
「これで決まりだよ。一緒に行ってくれるよね」
ムンカも決めつける。


続く

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