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水辺のビッカと月の庭 二十四回 背中合わせのトッシュ II

『顔がひとつしかない』
ヒロムは心の中で繰り返す。当たり前のことなのに、なんだか情けない気持ちになる。
「おいボウズ、何か言ってみろ」
言いたい放題言われてもヒロムは声を出せない。
キルカは一人だけだった。でも今度は二人分を相手しなくてはいけない。
「トッシュさん、ぼくは」
ヒロムは二人に呼びかけようと声をかける。途中まで言うと、トッシュのからだが震えだした。声を揃えて叫ぶ。
「その呼び方はやめろ!」
金切り声になっている。
からだがひらりと九十度まわって横向きに止まった。赤も緑もどちらの顔も見えなくなる。
「いったいどっちに話しかけている。はっきりしろ」
どちらが答えても構わないように「トッシュさん」と声をかけた。なのに横をむかれてしまった。プイッと知らんぷりされたようで面白くない。おまけに怒鳴られてしまう。
初めのように一本の棒のように見えている。ヒロムはもう一度声をかける。
「トッシュさん」
くるりと180度回転する。やはり顔が見えない。
「こら、遊ぶんじゃない」
情けない声で言う。さっきとは大違いだ。
ヒロムはもらしそうになる笑いを飲み込む。
「話したいのはどっちだ。はっきりしろ」
ヒロムはもう一度言う。
「トッシュさん、なんて呼んだら」
「だからその呼び方はやめろ」
顔の部分が餅でも焼いたように膨れ出す。左右にぷくーっと。左が緑で右が赤の餅。顔の真ん中から膨れだしたものだから目がずれて片目だけがヒロムの位置から見えだす。へんてこな顔になってしまった。ヒロムは笑いをこらえる。
「青のトッシュ、さん」
くるっとまわって緑の顔が現れた。トッシュの前に「青」か「赤」を付ければ良かった。しかし、緑色の顔を見て青とは言いにくい。
「顔は緑なのになぜ青のトッシュなの?」
思ったことをぽろりと口に出してしまう。
答えたのは裏を向いている赤のトッシュだった。
「おかしなこと聞くんじゃないよ」
「でも、顔の色は緑だよ」
ヒロムは答える。
「なんだって。青のトッシュが緑だって」
赤のトッシュが苛立った声で言う。
「本当なのかい、顔が緑だってのは」
赤のトッシュが青のトッシュに尋ねる。
「どうやって自分の顔を見るんだ」
青のトッシュは低く憮然とした声で言う。
「赤のトッシュ。自分だって赤い顔をしているかどうか知らないだろ」
青のトッシュが言う。
両者は背中あわせだ。お互いの顔を見たことがないのだ。
「信号機の青のようだ。実際は緑だよ」
ヒロムが言う。
すると赤のトッシュと青のトッシュはそろって笑う。
青は、「カラカラカラカッカッカ」と太い声で笑う。
赤は、「ケタタケタタケッケッケ」と甲高い声で笑う。
「ボウズ、つまらないことばっかり言うんじゃない」
「間抜けだね、そんなこととっくにご存知さ。私たちはずっと背中あわせさ。ちっとも噛み合わない。顔も見合わせた事がない。それがなにさ」
赤のトッシュはあっさりと言いきる。
「つまらないことを言ってると食っちまうぞ」
青のトッシュが怒気をふくんだ大声で叫ぶ。
ヒロムの表情は一挙に暗くなる。
「なんで黙ってる」
ヒロムの足はガタガタと震えている。青のトッシュは見逃さない。
「このボウズ震えているぞ」
足だけではない。震えは全身にじわりと広がってくる。食ってしまうぞ、とキルカと同じ言葉を浴びせられたせいだ。胴体に痛みがはしり食いちぎられるような錯覚をおぼえる。
「どうしたボウズ。名前はなんと言う?」
「ヒロム」
力無い声で答えてしまう。
「聞こえないよ」
裏側になっている赤のトッシュが言う。
ヒロムは腹から声を出して答える。
「ヒ・ロ・ム」
「やればできるじゃない」
ヒロムの表情にじわりと笑みが滲み出る。緑の顔が言う。
「やはり名前で呼ばれたいか」
ヒロムはこくりとうなずく。
回って代わった薄桃色の顔が言う。
「カエルもどきのキルカのところから来たんだね」
口ぶりが優しくなっている。だがすでに話したことだ。顔が二つあると言うことは二度相手にしないといけない。ヒロムはムスッとした表情を浮かべてしまう。
その様子を見て赤のトッシュの顔が赤みを増す。
「ここでずっとずっといればいいさ」
ぶっきらぼうに言う。
ヒロムは慌てて焦る。
その様子を見て赤のトッシュは「ケタケタケッケッケ」と声をあげる。
よほど機嫌が良いのかメロディーを奏で始める。
ヒロムは手で耳をふさぐしぐさをしかけて思いとどまる。塞げば赤のトッシュは不機嫌になる。
歌らしきものが終わるまでヒロムはなんとか表情を変えずに聞く。
ほっとして最後に大きく息を吐く。
くるっとまわって青のトッシュが顔を見せる。何か言いたそうな顔だ。右目が引きつったままでウィンクのような仕草を送る。ヒロムは愛想で笑いを浮かべる。
終わると再び赤のトッシュに代わる。

続く

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