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「今昔物語集」 猫を怖がる大夫

巻二十八は「烏滸、痴(おこ)」の文学と言われて、笑える話の部類ですが、現代語に訳すと面白みが出てこない。
理由を考えると、
自分が下手。
言葉の抑揚が今の標準語ではどうも違和感あり。
平安時代の古典を標準語のアクセントで読むのは?
書き言葉と話し言葉の差も大きい。
「今昔物語集」は、説話だから「話す」ことから生まれたはず。
話す、語る、喋るといえば、琵琶法師、浄瑠璃、講談、落語(落とし話、芝居話、怪談話)です。
そこで今回、大胆無謀にも「上方落語調」でいこうとあいなりました。

原題は「大蔵大夫藤原清廉怖猫語 」31話です。



で、みなさんは猫派ですか、それとも犬派ですか。

猫派の人は、愛想を振りまかないツーンとしたところが、たまらないらしいですね。
「あなたが飼い主?、そ、よろしく。餌はそこに、下の世話はしっかりやってちょうだいね。」
にんげんだったらしばき倒してやりたいけど、猫好きには「そこがええねん」になってしまうみたいですね。

犬派の人は、散歩は必ず連れていきますよね。川の土手でちょっとリードをはずしてやる。飼い主のこと忘れて夢中になってクンクンやってますよ。ところがふっと飼い主の方に振り向いて、目があったりする。その視線に「パパそこにいるよね。」なんて勝手に思ってしまって、胸がきゅーんとせつなくなったりするわけですよ。

わたし?わたしですか。犬派です。
「犬もいいけど、やっぱり猫が好き」の人もいてはると思いますが、
この話、猫好き犬好きの話でのうて、犬より猫を怖がる話です。

京には身分の高い役人や、あっても無いのと同じような低い役人まで、ぎょうさん役人が居て、この話の中心は、大蔵省の役人と大和の守(かみ)と言われる、今で言うと中央官庁役人と奈良県の知事でしょうか、この二人です。

さて、この大蔵省の役人、藤原清廉(きよかど)と言いまして、結構いい歳でした。こつこつと長年勤め上げた下級役人で、よく頑張ったというねぎらいで五位をいただいて、大蔵の大夫と言われるようになったそうです。
この大夫、何が嫌いかというと、猫が大っ嫌い。
嫌いをこえて恐ろしがる。
「ねこ」の「ね」って聞いただけでビクッとする。
「あの大夫な、猫怖がりよるで」
と人の口にのぼって京中に知らんもんがいないというくらい有名になって、
ありがとう無いはなしですけど、「猫怖じの大夫」と異名をつけられてしまいました。
「その話ほんまのほんまかいな。」
「いい歳とってなんやそれ。」
「嘘とちゃうか。」
「よし、確かめたろ。」
こんなふうに面白がるもんも出てくるわけで、懐に子猫を抱いて待ち構えるわけですわ。しかし、清廉も慣れたもんで、天敵はその気配でわかるようになってました。もちろん魚を商うような場所には近寄りません。衣服の中に手を入れてニヤついて自分を見ているような奴にも近づきません。目の前に来る前にくるり方向を変えて一目散。とにかく危ういことには近づかない。

もうひとりの人物は藤原輔公(すけぎみ)ですが、大和の守(かみ)ですから無能では務まらないでしょう。この守が頭を痛めているのが、この大蔵の大夫です。何しろ三年になるのにちっとも税を納めてない。大和にも山城にも伊賀にも田畑をぎょうさん持って裕福なのに、舌を出すのも嫌がるというどケチぶり。なんとかして自分の任期中に納めさせたいと考えてました。

猫は怖がるのに、守のことはちっとも怖がらない。大和の守はこれも気に入らない。
身分のない田舎者なら検非違使に身柄を押さえて、グウの音も言えないぐらい締めあげて「降参しました」ぐらい言わせられるのに。あやつの身分が低ければとおもっても、残念ながら清廉は京でも羽振りをきかせている朝廷の役人です。差配違いで手が出せない。なんとも歯がゆいばかり。
手をつかねてみていると任期切れがもう間近。やっと一計を案じた輔公、清廉が大和にやってくるというので、国府に呼び出した。

呼び出された清廉、
また苦虫を噛み潰したあのツラを見るのか、それも少しの辛抱だ。頭を低くしてやり過ごせばなんとかなる。
という腹づもりで、この点は海千山千です。

国府に行くと奥まった出入口がひとつの部屋に通されて、
なんだかいつもと違う扱いだぞ、脇には侍がついてかしずかれているようや。
と悪い気はしなかったようです。中に入ると奥のほうに大和の守が座ってる。苦虫を顔の上で飼っているような守もいつもと違ってにこやかで愛想がいい。
なんやちょっと嫌な気がする。油断したらまずいぞ。ここはかしこまって出方をみるか。

手招きされるままに、守の前に清廉はいざりよった。
「さて今日来てもらったのはほかでもない、わかっておろうが例の件だ。わたしの任期も今年限りでな。とどこおっておる朝廷の年貢について、どうするつもりか教えてもらおうか。」

この程度なら清廉も心得たもので言い訳の方法はいつも考えてある。にこにこと、
「そのことでございます。私どもの年貢は、大和だけでなく山城、伊賀にもひろくありまして、どちらの国にもまだ納められない有様で、手続きやら計算やらが複雑で、しかしこの秋には必ずご用意いたします。まさか殿の任期中に納めないで次の守のときになどと考えてはおりません。こうして大和まで参ったのも守の誤解を解くためでございます。もうこれ以上お心を煩わせ申し上げることはございません。おおせのとおり必ず、たとえ何千万石あろうと、納めないはずがありません。」
などと平身低頭してはぐらかす。面従腹背なんて言う言葉がありますが、清廉のための言葉です。腹の中ではそらひどいことおもっていて、

へ、貧乏国司に何ができる。屁でも食らいやがれ。ここから出れば伊賀にある東大寺の荘園に直行だ。そこに逃げ込んでしまえばこちらのもんだ。国司といえども手が出せまい。どこのぬけ作が大和の年貢なんぞ納めるもんか。今すぐなんとかしろだと、役人風を吹かせて、大和の守だって、評判なんて聞いたことがないぞ、どれほどのもんだ。
とよくもまあ、こんなことを思いながら表情ひとつ変えないでいたもんです。

輔公も納得するはずがありません。大蔵の大夫ということで甘すぎた。油断も隙もない輩には甘い顔は禁物だ。鷹揚なところを見せればずにのってくる。腹にすえかねてのこの日です。

「その方の殊勝には飽きた。帰ったら行方をくらまして遣った役人にも会わないつもりだろう。今日こそ納める手続きをせねば帰れぬぞ。」
「そのおっしゃりようはいくらなんでも、お納めしないなどとちっとも思っておりません。逃げ隠れなんて滅相もない。」
「その方とは数年来の付き合いだ。誠意のかけらぐらいはあるであろう。今ここで見せてもらおうか。」
「今ここでどうやってお支払いできましょうか。帰ってすぐに文書にしたため、今月中にはお納めいたします。」
「きょ、今日はできないと言うのか。ならばこの輔公、死んでもかまわん。ちっとも命は惜しくないぞ。」

輔公の表情はがらっと変わりました。お前を殺して自分も死ぬ覚悟だと言うことです。清廉もふとい奴です、これほど怒らせてもちっとも動じません。笑みさえ浮かべて余裕綽々です。

とうとう輔公も怒りました。膝立ちになって腰を揺すり何やらおかしげな動きをしだします。指をポキポキ、首をくるくる。目を釣り上げて叫びました。
「男どもはいるか」 
それでも清廉は何を言ってるのかと涼しい顔。
「ここに」
「例のものを持ってこい。」
男どもが廊下を急ぐ足音が聞こえてきます。

わたしに恥でもかかせようというのだな。何をたくらもうが、さほどのことはあるまい。
まだ高をくくっています。

「中に入れろ。」
戸が開いたかとおもうと猫が一匹放り込まれました。灰色のまだら毛の大きなねこで、爛々とした目で清廉を見ました。

あかん、やられた猫や。

息が止まりそうなところに次々と猫が、合計五匹、黒いのやら白いの三毛なんかが部屋中走り回る。あっちでニャー、こっちでミャーと鳴き声が部屋に満ちあふれる。清廉は耳を塞いでうつむいて丸まります。その背中にのるは足を舐めるはでやりたい放題。
清廉目から大粒の涙がぼろぼろ、一緒に目ん玉まで流れようかというくらいで、唇は紫に顔色も変わりに変わってしまい、これ以上は耐えられなかったのでしょう、両手をすり合わせてひたすら守に拝んで頼みます。
「なにとぞ猫を外に。なんでもいたします。」

顔を上げると、そこには化け猫になった輔公が裂けるような口をして爪で引っ掻くような仕草で見下ろしています。
清廉、ギャーと声をあげて泡を吹いて気失ってしまいました。

やり過ぎたか、輔公はそういうとお面を外し男どもを呼んで猫を外に出しました。

清廉、やっと目を覚ましても、全身汗びっしょりで、目をしょぼしょぼさせて気もうつろです。
「い、生きて帰りとう存じます。」
息も絶え絶えそう言うと、
「ならば書くな。」
今だとばかりにたたみかけてきます。清廉は小刻みに首を縦に振るばかり。
「硯と紙と筆をここに持ってこい。」
よく貯めましたもんです。納める米は五百七十石余りですが、これは今の重さでいうと三十四トン余り。
「七十石余りは家に帰ってしっかり数えて国府に納めよ。五百石は伊賀で納めず大和の宇陀のその方の家に貯めてある稲、米で納めよ。この場でその命令書を書式にのっとって書け。大和国に納めると書くんだ。伊賀国に宛てて書くな。もし嘘偽りを書くとまた猫と遊ばせるぞ。」
清廉、震えながら命令書を書きました。油断も隙もない相手ですから輔公は手を緩めません。家来にその命令書を渡し、清廉も引き連れてすぐさま宇陀の家に行かせ蔵のものを差し抑えさせました。
しかしこの話、大和守輔公も抜け目がありません。清廉は山城にも伊賀にも田畑を持っているわけですから、そちらの役人たちも手こずっているはずです。そちらに先に納められれば自分の取り分が少なくなるかもしれません。

税を納めない清廉は大蔵の役人で、そういう時代なんでしょうが、今なら巨額脱税と言われるかもしれません。かたや輔公も国司という役人ですが、この国司につくと実入りが多かったそうです。
今昔物語集には、国司のがめつい話が出てきます。「転んでもただでは起きない」という諺は、国司の貪欲さから生まれたものだと言われています。国司は朝廷に納める分だけ納めれば、残りは自分の物になったので、せっせと財物をためこんだそうです。土地に暮らす人達にとっては、今度の国司はどんなひとだろうか。戦々恐々としていたのではないでしょうか。酷いのが来たら、盗人が来たとでも諦めて数年間耐えなければならなかったのかもしれません。果たして藤原輔公はどんな国司だったのでしょうか。


【注記】
一石(いっこく)とは、おおよそ180ℓで150kgです。
戦国時代は、一人の大人が一年間で一石食べていたようです。
今の日本人は50kg台に減っています。
なお、平安時代の一石は戦国時代以降とは違って、その四割だったという研究結果があり、60kgで換算しています。


#古典が好き

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