見出し画像

短編 「タヌキのたからもの」

 タヌキにはこんなにも色々な鳴き方があることを私は知らなかった。今まで、イノシシの声と思っていた激しい金切声も、犬の吠えるような声の主も、実はタヌキだった。
あの日も聞き慣れない声がして書斎のカーテンを開けると、そこにタヌキが1匹いた。
タヌキは私の方をじっと見て、「どうも」と言った。
「どうも」と私も答えた。
「落とし物をしまして。大事なものです。しばらく探させてください」とタヌキは言った。
「何をなくしたのですか?私も一緒に探しましょう」と言うと、
「あなたに言ってわかるかな」とタヌキは言った。
「わからないかもしれないけど、とりあえず言ってみて下さい」
タヌキは私を訝しげにチラリと見て、「このぐらいのやつです」と手で大きさと形を示しながら言った。
私の手よりもずっと小さいタヌキの手が大事そうに作る丸い円を見て、私はなぜかうっとりした。
「丸いのですね」と私が言うと、タヌキは「いいえ、四角です」と言った。
「四角?」
「はい、こういうやつです」とまたタヌキは両手で丸く円を、さっきよりいくぶん小さな円を作った。
「丸いじゃないですか」と私が言うと、
「だから、あなたに言ってわかるかな、と申し上げたのです」
「だってそれは、、」私の言葉を遮って、
「ありがとうございます」とタヌキは深々と頭を下げた。
「あなたのお力を借りるには及びません。しばらく一人で探してみます。庭先でウロウロするのをお許し下さい」と言った。
「それは構いませんが、一人より二人の方が見つかる可能性が高いと思いますよ」
「可能性」とタヌキは私の言葉を繰り返した。
「あなたが私の説明を理解できずにいるのに、ですか? 私は私がよく知っているもの、大事にしてきたものを探します。あなたはあなたの善意を全うするために探します」
私は唖然としてタヌキを見た。
「では失礼します」と言ってタヌキは探し物に戻った。
書斎の窓からタヌキが地面に鼻をこすり合わせるように探し物をしている様子を見て、確か犬科の動物は近視だったよな、とぼんやり思った。なんだか眠たくなって来た。昨日は徹夜だったから。
 窓に石が当たるような音がして顔を上げると、タヌキが窓を叩いていた。いつの間にか寝てしまったようだ。
庭に出て行くとタヌキが「見つかりました。ありがとうございました」と言った。
「見つかったんですか。よかった」私がそれだけ言って黙っていると、
「ご覧になりたいですか?」とタヌキが言った。
「見たいです。あなたがよろしければ、ですが」
私はタヌキがあれほど懸命に探していたものが何なのか、とても知りたかった。
「これです」タヌキが差し出した掌にはなんの変哲もない、そこいら辺にいくらでも落ちている小さな石、丸く平たい小さな石があった。
「石。これがあなたが探していたもの?大事なもの」言葉に詰まって私が石をじっと見つめていると、タヌキは
「私のたからものです」と胸元に引き寄せて静かに言った。
「あなたにもたからものがあるでしょう」とタヌキが言ったような気がした。

「だめだよ、こんなところで寝てちゃあ」
誰かが私を激しく揺すった。
「えっ?」私はびっくりして体を起こした。
「あれっ。タヌキは?」
「タヌキ?何言ってんの。あんた酔っ払ってるの?風邪引くよ。まだあったかいからいいけど、寒くなったら凍死するよ。酒はほどほどにね」と作業着姿の男が言った。
「斉藤さーん」同じ作業着の男がトラックの窓から身を乗り出して叫んでいる。
「じゃあね」と斉藤さんは私の肩を叩いて走って行った。
 辺りは薄暗くなっていた。
体が痛いと思って見ると、私が寝ていたのは河原の石の上だった。
書斎にいたはずなのに。
わけがわからず、ふらふらしながら立ち上がると、膝から何かが落ちた。それはよくキャンプに出かけていた頃に持っていたフリースの膝掛けだった。ずいぶん前にキャンプ場で無くした。どうしてこれが?
顔に差す赤い陽が眩しい。夕陽が山の間に消えそうだ。肌寒くなってフリースを拾い上げ肩に掛けた。
とにかくうちに帰ろう。河原を歩きながら私は少しずつ頭を整理しようとした。
久しぶりに歩く河原は石がゴロゴロして歩きづらかった。
疲れた。それに寒いな。
その場にしゃがんで肩に掛けたフリースを引き寄せしばらくじっとしているとタヌキのこと、探しもののこと、たからものと言っていた石のことが頭を巡った。
ふと、白く平たい丸い石が目に留まった。私はそれを拾い上げ、川に向かって投げた。石は夕陽に赤く染まった水面を二度三度蹴って川向こうに消えた。
子供のころ暗くなるまで皆で競って投げて遊んだ。心配して迎えに来た母親によく叱られたな。
私はしゃがんで平たい滑らかな石を探しては拾い、重さを吟味した。手の感触が、夢中で石を選んだことを、どんな石がよく水を切るのか研究したことを思い出させた。
私はこれぞと思える石を選び、石が何度も水の上を跳ねていく様子をイメージしながら腕を振った。
誰よりも水を切ったあの日、ヒーローになったあの時のことを思い出しながら、私は暮れゆく水面に石を投げた。(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?