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人生で一番のアートは

「アート」という言葉がある。絵画や彫刻、音楽など、いわゆる芸術を指すことが多いこの言葉は、日常の中でもよく目にしたり、耳にしたりする。

「私は、アートが好きなんです」「アートに興味があります」「アートって大事だと思うんです」ー。僕の周りでも、そう言っている人がたくさんいる。それはそれで良いことだと思うが、実は逆だと思う。

僕の「アート」という言葉の定義は、「心を動かす表現物」だ。表現の意図を持って創られた「アート」が心を動かすものである以上、アートが好きであることも、アートに興味が湧くことも、アートを大事に思うことも当たり前ではないだろうか。なぜなら、数学的に考えれば「心を動かすものでなければ、アートではない」からだ。だから、誰かがアートについて好意的に語るのを見る時、なんとなくトートロジーのような表現だと感じる。

さて、話を本筋に戻そう。アートが心を動かす表現物であるとすれば、実は美術館に飾られているようなものはほんの一部だということになる。子どもの頃に遊んだドラクエ、読み返しては涙が出るスラムダンク、何度もリピート再生しては歌詞の意味を考えるスピッツ、深い洞察で感銘を与えてくれるヤンツや老子、自分へのご褒美に食べる回らないお鮨、同僚や友人と飲むビールと枝豆など、その一つ一つが心を動かされるアートではないかと思う。ゲームも、マンガも、本も、食材も、料理も、飲み物も、誰かが何かを表現しようと創り上げたものだからだ。

そして、僕の人生で最も心を動かされるタイミングは、大切な人と出会い、深く語り合ったときだ。「努力によって作りえる最も重要な作品は、自身の人格である」(The most important product of his effort is his own personality.)これはドイツの社会心理学者エーリヒ・フロムの言葉だが、まさしくその通りで、人生で一番のアートがあるとすれば、それは「人格」ではないかと思うのだ。

だとすれば、自分はどんな人格でありたいのか、最終的にどんな人格にたどりつきたいのか、といったことが人生の命題になってくるわけで、そのために自分はいま何ができているのだろうかと考え始めると、なかなか身につまされる思いになる。

そんなことを考えながら飲むコーヒーは美味しい。この1杯20円弱のドリップコーヒーも、100円ショップで買ったコップも、僕にとっては、大切な「アート」だ。

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