きょうのメモ。
その日に感じたことや考えたことを書こうとすると、直前の記憶からしかことばが出てこない。
最近は寝る直前に書くことが多く、寝かかっている脳みそを無理やり起こしているので、なかなか支離滅裂しているような気がする。
もちろん、じぶんにとっては大事なピースなのだけど、それではあまりにも退屈だよなぁ、ともう1人のわたしが思っていて。
日記のようなことでもいいので、もうすこし書く内容を変えてみようかな。いつまで続くかはわからないけれど。
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朝いちばんは、メッセージを返すところからスタート。急ぎのものは夜のあいだに返すこともあるけれど、できるだけあたまがクリアな時間帯に連絡ごとを済ませる。
そこから、9,10月に企画しているイベントチラシの校正作業。こういうのもあたまが冴えている時の方が格段に捗る。
朝ドラを見ながら朝ごはんを食べ、直前までやっていた作業を再開。
直近のタスクを整理して、今週の動き方をイメージする。
あっという間に10時になり、しばしコーヒーブレーク。挽きたての豆に注がれていくお湯を眺めながら、心を落ち着かせる。今日はアイスカフェオレにしようと濃いめに出してみた。
そのあともメッセージを返したり、書きかけの記事データを開いてみたり。指の滑りがわるい
ときは、全然書けない。書けないときは読めていないことが多い気がするな。じぶんの内側に「言葉」がない。
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午後は代休をとって、本屋さんへ。
ここのところしばらくは通知まみれだったので、一旦それもオフにしてみた。見ようとしてチャットツールを開くのはいいけれど、休みたいときに通知を見てしまうと、ついつい内容が気になって開いてしまうから。
大きめの本屋さんへ行き、キーワード検索をしてその周りにある本のタイトルを流し読んでいく。
いま、自分が惹かれているキーワードはなんなのか、手に取る本を見ながら確かめていく。
家を出る前に、積ん読だらけの本棚をのぞいてみたけれど、いまの気分や興味とは読みたいものがすこし違うみたい。
今日は フィンランドで見つけた「学びのデザイン」という本を買ってみた。まだ全部は読めていないけれど、わたしの内側にあるものを言語化してもらえた気がする。
いまの仕事の延長に、「学び」や「遊び」のデザインがあると思っていて。早く現場を訪ねてみたいけれど、そのためにも今は目の前の仕事をきちんとやっていこうかな。
急がば回れというスタンスで、とにかくいまは一見遠回りに見える(かもしれない)ことを、地道にやっていこうと思っていて。
わたしのなかではつながっていると思ったことが、ちゃんとつながっていると感じられる本に出会えた気がするな。
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家に帰ってきたら、宮子(87)が絶好調だった。
「家やと独りでさみしいから、お話したくて」と、祖母の足で徒歩10秒のわが家へ。
何度かnoteにも書いているけれど、わたしの祖母は認知症を患っていて。記憶がとてもあいまいで、お昼に食べたものやデイサービスでの話は、もはやいつの出来事かわからない。
現に、デイサービスから帰ってきたら毎回同じように「今日も友だちが来てなかった。わたしのことを呼んでくれる92歳のおばあさんがいる」と話している。
なのだけど。
おばあちゃんには好意を寄せているデイサービスの「先生」がいて、その先生が朝迎えに来てくれることを心待ちにしている。
「先生」という歌を歌ったり、「杏奈ちゃん、今度先生に会ったら、おばあちゃんの気持ち伝えてーな」と言ってみたり。「あんた、好きな人はできたか? おばあちゃんは先生が好き」なんて言いながら、人に恋愛をしなさいと強要してくる始末(笑)。
わたしは青春時代の友だちかっ!と心のなかでツッコミながら、それでも楽しそうに先生のことを話す祖母が可愛くて。
「今朝はあの先生が迎えに来てくれなかった」というひと言を母に確認してみると、これは本当の話のようだった。
最後まで記憶にのこるものは一体なんなのか、言い換えれば、脳が優先的に記憶する感情はなんなのか、祖母との関わりのなかで見つけていけたらと思う。
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朝からの出来事を思い出しながらだと、結構いろいろ書けることはあるみたい。
わたしの生き方や働き方にはとくに専門性がないので、だれかに伝えられるノウハウのようなものはないけれど、無意味なものでもいいじゃない。
なんて言い聞かせながら、届いたメッセージを横目に今日はもう寝ようかな。
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