アイデアが生まれた日。
「やりたいこと」と「できること」がクロスするところにいられるってすごいなって思うんです。
わたしはまだ、そこまでたどり着けていなくて、そのために「やらなければならないこと」を日々コツコツと続けているところです。
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「できること」のところには、①自分ができるようになる ②できる人とともだちになる の2つがあると思います。
まだ社会人になる前に一度、自分のできなさに絶望したのを思い出しました。アイデアを実現できない自分の無力さに。
建築を学びたくなったことも、プロダクトデザインを学びたくなったことも、コミュニティディベロップメントやソーシャルビジネスの領域に足を踏み入れようとしたのも、本格的な留学の計画も、全部全部できない自分を知力をつけて補おうとしたんです。
でも、そうじゃないことがわかってきて。
わたしが取材をしたい・伝えたいと思うようになったのかという理由のひとつに、手を動かしている人への憧れがあって。
手を動かす度胸がなかったわたしは、ただただ憧れながら、そういう人たちに手の動かし方を教えてもらったんだと思います。
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「いいものをつくるには、いいもの見て、いいものに触れる」ということがなによりも近道だと、ある先生が教えてくれてからスッと軽くなってきたのを覚えています。
自分がやりたいことを必要と思って待ってくれている人がいるのかはわからないけれど、とにかく自分がやりたいのなら、小さくてもやることに決めました。このnoteもそうなんだと思います。
そして、追い討ちをかけるように嬉しくて悔しいことがあって。その時に、アイデアをアイデアのままで留めていても人に話せることって少ないなって思いました。時にはあたためることも大事なんですけどね。
はじめての人に自分を説明する必要があるときに、少しでも「やっている」ことを話せることで、信用性ってグッとあがると思うんです。先ほどの、嬉しくて悔しい日に有名な方を目の前にして、「SNSでいつも見てます」と声をかけたところでなんにもなんないなって。
今考えてみると、就活時の自分に足りなかった要素のひとつにそういったところがあったんだと思います。実体験をもとにしたアイデアはあっても、具体的な施策をもっている訳ではなかったんですよね。
とはいえ、自分が考えられ得るアイデアなんてすでに実現していることも多いので、手を動かしながら、わたしもいつか「やりたいこと」と「できること」がクロスできるようにがんばろう。
自分が一生懸命考えたアイデアが、すでにだれかの手によって実現されいる悔しさや、ひとりじゃ何もできない絶望を感じたあの時から、少しずつ変わってきたんじゃないかなって思います。身の程を知らなさすぎました。
気がつけば、そういったことを共有できるともだちや一緒になにかできたら良いなと思える人たちに出会えるようになったので、自分が「やらないこと」もすこしずつわかってきたのかもしれません。
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