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寝る前のメモ。


ただただ、風や匂いを感じながら、見知らぬ風景のなかを20000歩くらい歩きまわりたい。いま、一番ほしいものは何かと聞かれたら、そういう、目的のない時間なのだと思う。五感だけを頼りに、訪れた先の暮らしを身に纏うような、歩きながら音を拾って、徐々にリズムを掴んでいくような時間。

国内でも試してみたけれど、やはり文化圏が異なる場所でしか、あの瞬間は再現できないみたい。私が求める「旅」だけは、一年以上経った今でもなかなか代替の方法が見つからなかったという結論に至ったとも言える。悶々としていたエネルギーを違うところに向けられたことで、新たな発見もや出会いもたくさんあったから、悪いことばかりではなかったけどね。

異国に降り立つあの瞬間を忘れた日はないけれど、今できることは、いつかまた来るその日に向けて着実に歩みを進めるだけ。

ひさしぶりに、家で一人で過ごしている。いつの間にか、仕事が中心の生活になっていたのがよくわかる。掃除や料理も嫌いなわけではないけれど(洗濯をたたむのはニガテですが)、祖母が入院してからは自分のことだけに集中していたんだなあと。このままのサイクルで一人暮らしをすると、時間配分が下手くそすぎて、きっと生活が立ち行かない(笑)。

あとは、親をメモがわりにしていたので、ちょっとしたことを共有する相手がいないと、「これについてこう思った」というメモのように吐き出していた情報の出しどころがなくなって、あたまの中にどんどん積もっていってしまう。親には改めて感謝しつつですが、日曜日放送の「サンデーモーニング」は一人で見ない方がいいかもしれないな。

「東京オリンピック」がはじまって思うのは、これは誰のための大会だったっけ?ということ。21:00頃から開会式を見ていましたが、選手たちのことを一番に考えるのであれば、4時間立ちっぱなしは厳しいよね。画面の向こうについて、詳しくはわからないけれど、少なくとも次の日から試合が始まる選手もいるわけだし。

自国開催なのにも関わらず、これほどまでに他人事になってしまうとは思ってもみなかった。スポーツは自分の大切なルーツでもあるし、単純に好きだし、観るだけで勇気づけられるものなんだけど、それ以外のところが気になっているのか、なんなのか、純粋に開催を楽しめない自分もいて。

テレビもあまり見ていないので、こういう状況下においてオリンピックがどういうプロセスを経て開催されるものなのかは詳しくはわからないけれど、なんかこう、開会式も含めてここまでの間にさまざまなズレを感じてしまうよね。

世界から非難を浴びたあの発言を、その当該者を、もう一度組織に戻そうとすることもありえないと思うし、このオリンピックを通して、日本がグローバルスタンダードからかけ離れていることを伝えたいのだろうか?と感じる節もあって。それを語れるほど、わたしはまだまだグローバルスタンダードな人間ではないかもしれないけれど、少なくとも異文化を理解しようとしているし、どうすれば日本の魅力が伝わるかを日々考えている。

開会式も、開催国として伝えたいことは全部盛り込んでいたように思うけれど、正直、多様であることの意味を履き違えているようにも映った。直前の変更など、さまざまな困難があったと想像はできるものの、誰かひとりでも世界の人たちの視点から「おもてなし」を考えられる人はいなかったのだろうか。


こんな片田舎からモヤモヤしていても仕方がないので、わたしはわたしにできることを着々と進めるだけやね。自分が伝えたいことを、ちゃんと伝わるかたちにしていくために。

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