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寝る前のメモ。


「伝える」という仕事について、どちらが正解・不正解という話ではないのだけれど、2つの方向があると思う。

ひとつ目は、対象物の良さを引き出して自己を極力減らして伝える方法。ふたつ目は、対象物の良さを引き出しつつ、自己を投入して伝える方法。前者は後衛になるような伝えてのイメージで、後者は前衛になるようなイメージ。

いちばん伝えたいポイントがどこにあるかで、伝え手としての「自己」をどこに配置するかが決まってくる気がするな。と思いつつ、伝え手としての「自己」の存在を間接的にすごく意識しているのは、案外前者ではなかと思ってみたり。いや、どうなんだろう。単純に伝えたいと思えば伝えたいしな。

1日そこらで簡単に答えが見つかる問いではないのだけれど、「自己」をあえて言葉にするとすれば、「私を見てくれ!」という感情なのかなと。それがわかりやすく表に出ているか、奥に引っ込めているかだけの違いのような気もしてきた。あとは誰を対象に伝えているかでもずいぶん違うよね。

多分私が「私を見てくれ!」と思っていたのは、バスケットボールをしていた頃までで(実物を知っている方は驚くかもしれないけれど、ずっと It's Show Time! と思ってプレーしていたので)、それから後は早く裏方にまわりたい・・・と願いながらずっと前衛にいるような感じ。

完全に裏にまわるために、今はできる限り表で頑張ろうという時期でもあるけどね。なんとも言えない時期なので、思いつく限りのありとあらゆるチャレンジを片っ端からやってみてもいいわけだし。どこか遠い国で暮らすための体験料だけ口座に残しておき、あとはエイヤーと自分や事業への投資に使ってしまうのも一つかもしれない。危なっかしい発言ですが、本当に無一文になれば、本当の意味でゼロにもなれるしね。

京都に住まう限り(あるいは住まわなくても)「つながり」が切れることはないと改めて感じる今日この頃。しがらみにはならないのだけれど、匿名になることがないというか。さらに言えば、それが安心感や信頼につながることは理解しているので、なんかもう真摯に生きるしか選択肢がないよね(笑)。

新しいというよりは、これまでのあれこれを深めるための習いごとをしようか迷っていて(幅を広げるという意味合いも)、思い切って体験クラスに参加したのだけれど、すぐに匿名ではなくなるというか。もちろん界隈の方しか知らないような会社なのだけど(個についてはなおさら)、思いがけないところで広がってびっくりするのでした。

こうやっているうちに、人と出会って新しいプロジェクトなんかも見つけてきてしまうのだろうな。


ひさしぶりにご近所の友だちと話して、自分のやりたいことや彼女とチャレンジしたいことがワクワク見つかっていくのでした。あまり何にも考えずに、とりあえずやってみようかな。生まれ育った地域が、町の単位でどんどんおもしろくなっていきそう。

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