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きょうのメモ。


少しばかり、イギリスはオックスフォードにいた頃のことを。いまからもう、7年前の出来事になる。

わりと開校して新しい語学学校に通っていたわたしは、学校以外のコミュニティを探すなかで、在住日本人のコミュニティ、教会のオープンコミュニティ、オックスフォード大学の学生と出会っていた。きっかけはもう、思い出せないものもあるけれど、セカンドハンドの自転車(子ども用)を購入してから、行動範囲が広がったのだと思う。

ちょうど自転車に乗るようになってから、よそ者ではない感覚が身についていた。曲がることを知らせるサインも見様見真似で覚え、前の自転車に続いて入ってしまった高速道路を3時間漕ぎ続けるようなこともした(スーパーへ曲がる方とそうではない方の道があったらしい・・・)。

サザエさんのように財布を忘れてスーパーへ行ったこと、自家製のサンデーローストとクランブルをいただいたこと、学校を休んでセブン・シスターズやスコットランドに行ったこと、自転車でパブ巡りをしたこと(本当はダメです。笑)・・・いま思えばすごく豊かな時間だったんだよね。

引越しも2回ほどしていて、最初はビジネスライクなパキスタン人ご夫婦の家でホームステイ。次に、2週間だけホームステイしていたイタリア人&日本人カップルがホリデーに出てしまい、代わりに呼ばれたイタリア人のおばさんがホームパーティーをしていて(人の家で!)すごく衝撃を受けたことも。(でも、彼女がつくってくれたラザニアがイギリス滞在中で一番おいしかった。)最後は、中国人家族の部屋を間借りしながら、とてもハートフルな時間を過ごしていたんだっけ。

いまでもこうして覚えていられるのは、そこからずっと記憶が塗り変わっていない証拠かもしれない。あの日々に戻りたいということではないんだけど、人生で一番多様性にあふれ、フリーダムな時間だった。肌の色も国籍も世代もバラバラななかで生きる豊かさを、噛み締めてしまったんだろうね。

割と公共性の高い働き方をしているいまの状況も含め、「誰かのために」と思いながら取り組んでいることは一つもなくて、感覚としては本当に全部自分のためなんだよね。

自分の部屋のレイアウトを考えながら、お気に入りの家具を配置するのと同じように、「100年生きて楽しかった場所をつくる」ということだけを考えている。自分の身のまわりが心地の良い場所だったら、この人生でそれ以上何かを望む必要はなくて。

ただ、「100年・生きる・楽しい・場所」を考えときに、そこにたどり着くためのステップがたくさんあることも事実なので、イメージに実態を近づけていくために、日々コツコツとやっていけたらというところ。わたしの「楽しい」には、「多様」であることも含まれているわけだしね。



きょうは2回目の職域摂取だったので、ビビりながら先に書いておきました。すでにシャワーも浴びたので、もう寝れてしまいそうな勢い。もう少ししたら熱が出るのでしょうか・・・

おっかなびっくりSIGMAを手にしてしまったので(借りているだけ)、近々カメラを持って出かけたいな。

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