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寝る前のメモ。


水平線の彼方を思う。そこにあるのは、波がひとつも立たない平穏で曖昧な1本の線。

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「またか・・」と思ってしまったことに、自分自身の「生死」に対する感覚がすこしマヒしてきたと感じている。毎日ウイルス関連のアップデート情報が届き、死者についても数としてしか捉えられなくなってきて。数は脅威を伝えるためなのだろうけれど、ひとりひとりの顔を思い浮かべられないほどの数になってくると、肉体的なそれから「脅威」の感覚が離れていく。

怖さがないわけではない。ただ、気をつけるところは気をつけながら、限られた人としか会わない生活をしているので、なんだかもう、いま世の中で起こっていることは遠い世界の話にすら思えてくる。

挙げ句の果てに、有名な方が立て続けに自死を選んだことで、ひとりが亡くなったことを1回ずつ受け止めるには、どうしても理解や想像が追いつかない。他人だといえば他人だし、こんな片田舎から見ず知らずの人のことを考える必要はないのかもしれないけれど、彼・彼女らが関わってきた作品が身近にあったことを思うと、もう、どこまでが現実なのかわからなくなっていて。

すべてフィクションであってほしいなんて、願ったところで仕方がないのはわかっている。けれど、このままでは、この先2020年を思い出すたびにきっと辛くなる。この感情を原動力にして乗り越えておかないと、辛いほうへと転がっていくのはとても簡単なことなので。ただ、辛いと言い続けるのもそれなりに辛い質なので、時間が経過するとともに和らいでゆくことを祈って。



どんな感情を抱えていたとしても、毎日は変わらず過ぎていく。この世のものは絶え間なく変化し続けているという事実を「無常」と捉え、そのなかにある普遍性、あるいは小さな喜びと微かな希望を見出し・伝えることができたらと思う。世の中は思っているほどディストピアでも、はたまた、ユートピアでもない。


生きているだけで楽しい日もあれば、上手くいかずに落ち込む日もあるけれど、そんなの誰にだってあるじゃない。わたしがこう書いたところで、世の中の多くの人には伝わらないけれど、何かしんどいことや違和感を感じるようになったときは、すこしだけ自分を枠から解放してあげてほしい。

わたしみたいに何かを成し遂げていない人間が言ったところで説得力はないのだけれど、がんばらないでと伝えたいわけではなくて、自分の魂をきちんと解放する時間をどうつくるかを考えたいよね。スポーツ選手や起業家、職人など、何かに一生懸命な人たちから「休み方」のヒントを聞いていくことだけをしてもいいのかもな。あとは、休むことが上手な国で暮らしながら、Tipsを学んでいくなど。

みんな本当は幸せになりたい
急ぐ人休む人いるけど
みんな本当は笑いたい
影を地べたに落として
『シチュー』青谷明日香


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