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「ちがい」を認めあう手段としての「観光」


「なぜ、戦争は起こるのでしょうか」

小学4年生の頃、親戚が集まる祖父母の家で、書き上げたばかりの作文を音読しました。

「戦争」とタイトルをつけたその作文は、学校の宿題やコンテストに応募するためではなく、自分のために書いた文章でした。当時、テレビ越しに目にした「米国同時多発テロ」の衝撃があたまから離れず、衝動に駆られた記憶があります。

社会科の授業で、戦争は過去のものだと習っていたはずなのに、目の前で争いが起きている。私がバスケットボールに打ち込む傍で、年の近い子どもたちが生まれ育った母国から避難しなければならない状況を知り、自分自身の置かれている環境とのギャップに後ろめたさを感じていました。

けれど、私には冬休み明けの「ユニセフ募金」しか力になれそうなことが見つからず、何よりも情熱を注いでいたバスケットボールを手放すことはできませんでした。


当時の気持ちはいまも変わらないのですが、私はアクティビストでもなければ、国連や国境なき医師団で働いているわけでもありません。そんな私が、「ちがい」を認めあうために選んだのは「観光」という手段でした。

例えば、「世界-日本」「アジア-日本」「都市-地方」あるいは「地元」というキーワードを耳にしたとき、みなさんはどのような言葉を思い浮かべるでしょうか。それはポジティブな言葉でしょうか、それともネガティブな言葉でしょうか。

観光は、それぞれの国や地域で育まれた文化や風習における「ちがい」を「個性」として捉え、「魅力」として語ることができます。そうした考えを地元で体現するために、昨年に地域限定旅行業の登録を行い、事業をスタートさせることができました。

詩人・金子みすゞさんの「みんな違って みんないい」という一節は、みなさんも聞き覚えのあるフレーズだと思いますが、これを現代社会で実践することがいつの間にか難しくなってしまったように感じるのは、こうした「ちがい」を認める力が弱まっている証拠なのではないかと思います。

観光がすべてを解決できる手段だとは思っていませんが、半信半疑な地元の方々をよそに、この場所にある「ちがい」を楽しんでくださる方々が国内外から少しずつ足を運んでくれるようになっています。

「ちがい」がもつ魅力は案外、地元の若者たちも気がついているのですが、みんなが足元にある「ちがい」を心から楽しめるようになる日まで、チャレンジを続けたいと思います。

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