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寝る前のメモ。


書き方が難しいのだけれど、土地における個人としての信頼を積み重ねてきたいま、わたしが直面している課題ってなんなんだろう。

学生の頃からカウントすれば、意識して地元に住んでから5年以上過ぎているし(加えて、生まれてからずっと住んでる)、その当時は誰もそういう人がいなかったし、語弊を恐れずに言えば、放っておいても「ここにいる」という周囲の信頼は得られる。

ほかの地域で活躍される方と話すと、「ここまでくるのに7年かかった」「うちは10年かかった」と聞いて「いや〜、長いな・・・」と思ったけれど、気がつけばわたしも6年目になるわけで。けれど、それだけでごはんを食べることはなかなか難しいよね(笑)。

小さな取り組みは地道に重ねてきたものの、大きな動きはつくり切れていないもどかしさのようなものがこの1,2年ずっとあって、その正体をそろそろ突き止めたいというか、その課題をちゃんと乗り越えていかないといけないなと思うわけです。

そこに自分自身のキャリアのことも重なるからあれなんですが、大きな壁が見えた気がして、プロデューサーは別に必要なんじゃないかと少しだけ思いました。でも、そこをほかの誰かに委ねたら、これまで積み上げてきた信頼は揺らぐとも思っています。というか、これって誰がしたかったことなんだったっけ?という感じで、声をかけたみんなを迷わせてしまう。

話をすこし戻すと、課題というか、やりたいことは年々増えていくなかで、やっぱり伝える場所が必要だよなと思うわけです。火曜日も昨日も今日も、結果的にですが「人」がいる「場」を巡っている。会いに行きたい「人」がいれば、どんな「場」でも魅力的に感じられる。場があれば人が集う。人が集えば自然発生的に起こる現象もある。現象はいずれ、風景となる。

数ヶ月前に「そろそろあなた(わたし)にも、そういう『場』が必要だよ」というアドバイスをいただいて、はじめはピンときていなかったのだけど(というよりも、ずっとこんな感じだから固定になることがちょっと怖い)、覚悟を決めるタイミングなのかなとも思う。場に固定されることに対して、不自由になるイメージが強くてずっと避けてきたけれど、だから広がらなかったとも言えるしね。


最近、“いつかできたらいいな”と思っていたことのいくつかが、割と外的要因で進むケースが増えていて、覚悟なんて後からついてくると思えば(多分いつもそうだったし)、やるかやらないかを決めるだけで、ものごとは案外進むのかもしれないな。迷いたくない気持ちが年々強まってもいるし。

凝り性なので、ついついこだわりたくなってしまいますが、いまの段階だと、クオリティを高めたいものは後まわしにした方がいいのかもしれない。とにかくチャレンジして経験と知識を積んで、実績をつくって、本当にやりたいところへ徐々に近づけていく。



という具合に、noteはほとんど思考の整理なので(しかもめっちゃメモの状態)、読んでいただけているとなると、ちゃんと書かなきゃ!という気持ちがすこし芽生えてきました(お恥ずかしいばかりですみません、ありがとうございます・・・)。でも、わたしが個人で伝えられることってなんなのだろう、どんな需要があるのだろう・・・ここに関してはプロデューサーを求めます(笑)。

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