ひとだからこそ、できること。
というところに、わたしはこれからもフォーカスを当てていくんだろうなと思います。
世の中がどうとか流行りだからどうとかではなく、ひとの可能性みたいなものに、やっぱり賭けてみたい。商店街の店主、職人さん、アーティスト、そして、まちで暮らすいろんなひとたち。
やりたい! とだれかが思えるような物事はきっと、これからも残りつづけると思うから。
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例えば、伝統工芸などの手仕事を「日本の未来のために残さなければ」と口で言うことは簡単ですが、結局はそこに携わるひとがいないと成り立ちませんよね。だから無責任なことは言ってはいけないなっていつも思います。
「論」のなかにいては結局無力であるということを、学生時代に開発経済学を学ぶなかで強く感じてから、とにかく現場に飛び込むようになりました。論じているだけじゃ全然たのしくないし、論争ばかりが続くことに果たして意味があるのか、わたしにはわかりません。
よくゼミなんかで話していた、世界の貧困問題が解決しない理由は、家庭環境なのか、教育なのか、仕事なのか、挙げだしたらとてもじゃないけれどキリがなく、挙げれば挙げていくほど、自分の体から事象が離れていく感覚がありました。「このまま論じるのはやめよう」その時、そんなことを思いました。
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最近すこしずつ人前でお話する機会をいただくようになってから、話せば話すほどに空っぽ感が拭えなくて。もちろんすこしはやってきたし、やっているからこそ話せることはあるのだけれど、それを語ることにためらいがあります。
その背景には、まだ自分が未熟だからという文脈もあるのだけれど、これからも、あんまり「論じる」ことはしたくないよね。論じたとて、それをやるべきなのは誰もがわかっているから。なぜできないかを解消するために、いまは口よりも手を動かしたいかな。やって見せたときにひとりでも “いいな” と思ってもらえたのなら、未来はちゃんと明るい。
すこし遠回りかもしれないけれど、わたし自身も、そんな背中を見ていきたいです。
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ひとのひとたる可能性を説くのであれば、自分も自分の可能性にチャレンジしていかないと、説得力が全然足りない。
なんて言ってしまうとすこしむさ苦しいですが、それはわたしが体育会系なので仕方がないかな。脳みそのほとんどが筋肉でできています。
もちろん、こうやって発信することで自分の首を締めていることも知っているのですが(笑)、そうやっていまは自分自身のお尻を叩いています。
ひとがひとである理由を考えはじめるといよいよか・・なんて思いますが、それがやっぱりおもしろいから、考えるのをやめたくない。ひとだからこそ、できることを今後もやっていきたいですね。
Googleカレンダーを見ていると今年度どこまで余白をもてるか定かではないのですが、限られた空き時間のなかで一冊のZINEをつくることがマスト事項です。今年はクラウドファンディングのリターンでいろいろとたのしめそう。
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