「どこで」「誰と」「何をして」暮らそうかな、という日々。
「時間ニ限リガアリマス」
いつかテレビでやっていた旅番組のワンフレーズ。
時間が有限であることを時々、忘れそうになる。
忘れた頃にピリオドがやってくることも頭の片隅でわかっていながら。
いつまでも続く気がして。
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◆まずはタイトルのお話から少し
「どこで」「誰と」「何をして」暮らすのか、暮らしたいのか。
そんなことを考えることが時々あって。
うまく言語化できないまま今日まで来たんやけど、
「贅沢な時間」の感覚がなるべく近い人と一緒にいたいかな。
なんとなくそんな要素が含まれている気がして。
例えば、山の上で星を眺めながら寝転がっていることが「贅沢」な自分にとって、高層ビルの36階はソワソワしちゃうよねって。
もちろんそれは「誰か」にとっては贅沢なことに変わりないのやけど。
いい悪いのお話はここにない。
だからこそ「贅沢な時間」の感覚って大事やなぁって。
「どこで」と「何をして」とは言いつつ、まだよくわかんない。
場所は世界中どこでもいいし、今は「何をして」に向けて選択肢を増やせるように頑張らないとねっていうところ。
それじゃあひとまずは、一緒にいたい「人」がいるところで暮らしていける何かしらの「スキル」があったらいいのではなかろうか、と。浅はかかもしれませんが。
そんなことを考えながら、これから「一緒にいたい」って誰なんやろうって。
(ここでの「一緒にいたい」は何ていうんやろう、好きとか嫌いとかそういう感情だけじゃなくて、この人と「お仕事」できるようになりたい!っていうのも含まれているんやろね。じゃあそういう人たちと「贅沢な時間」の感じ方が同じかといえば違うのかもしれないけど、何となく「遠くはない」気がするという勘…)
早く同じ土俵にあがれるように。
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◆自分の中の「変わらない2%」
「変わること」も「変わらないこと」も大事にしようと思った2年前。
外の国で暮らすことは少なくとも何か自身に「変化」をもたらすやろうと思ってたんやけど、帰ってきて友人に「相変わらずやね」と(笑)
そう言ってもらえて何故だかホッとしたのを覚えていて。
自分1人じゃきっとわからなかった「軸」。パーソナルな部分をよく理解してくれている子達やからこそ。
あとは、変えたくない2%を守るために必死だったのかもしれない。
それは「大事にしたいこと」やから、そのための変化にはこれからも寛容でいたいかな。
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◆誰かの「1%が変わる」ということ
「もしかしたら何かを変えられるんじゃないか」を学ぶために大学に入った5年前。政治・経済・国際関係・教育・移民・貧困等々テーマが大きければ大きいほど、僕たちは世界を変えることができない。って無力さを感じたのね。
ミジンコみたいな自分に何ができるのかって。
でも、もし仮に「今を少し良くできたら」「未来に対してワクワクできる人が1人でも増えたら」それだけで変わる気がしていて。
そこから先はどんな道でもいいから、少しでも1歩外のことを考えられることができたら、と。
手っ取り早く伝えるのはやっぱり写真や文字で。「きっかけ」になれればそれだけでいい。(、、お金もちゃんと生み出しましょう。)
そこに対して使命感とかはなくて。でも「何もしない」という選択肢はないかなぁという日々。
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視野が狭まりそうになった時や凝り固まりそうになった時、遠くの記憶と近くの友達を思い出すようにしていて。
これはワガママかもしれないけどね。「これまで」を大事にしながら「これから」を楽しみたい。
ふぅ。またつまらぬものを書いてしまったようですね...。
でも徒然なるままに書いてみると少しスッキリしたのかな。
▼過去との共通点を探る癖。
軸がないとぶつかったときにブレてしまうのは、長年のバスケットボール生活で習ったこと。(ホント脳みそ筋肉なので。笑)
さてさて、投票行って、涼しくなったらまた作業しよーっと。
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