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寝る前のメモ。


自分自身で感じている自分の弱いところを、今年はなんとか強化したいと思っている。昨日Amazonで購入した本は夕方には届いていて、すでに読みたかったところを読み終えた。問いを突き詰めるのは好きだけれど、瞬発的に判断する力やスピード感は正直もちあわせられていない。

弱さについて例えば、データをきちんと収集しそれに基づいた事業をすること、要点をまとめてサクッと伝えられるようになること、アイデア止まり・一度やってみた止まりのものごとをビジネスラインに乗せていくこと、そして、困ったときに困ったと伝えられるようになること。これはあくまで自分自身の分析なので、他者からもフィードバックがほしいところ。徹底したKAIZENを学ぶために、少しだけでもどこかへ研修に行けないかしら、とちょこっとばかり思うのでした。

最近は、良くも悪くも限定的な人たちとのコミュニケーションになっていたり(土地的なものではなく、価値観が近いという意味で)、自分自身も地元の資源に気づけなくなっていたりで、その状況であることに気がつかせてくれるのはやっぱり、初めて会う方や文脈を異にする方なんだなと。よそ者は、価値観が近しいよそ者ではなく(話が共感で終わってしまうので)、さまざまな視点・背景をもつ人、という意味で。そういう意味では、地元内にもたくさんよそ者がいるということですね。

こうやって毎日せっせと自己完結のような文章を書いているので、ある意味癖づいてしまっていた話し方や思考回路について、揺らぎを与えてもらったり崩してもらえたりするような瞬間は必要で。たとえそれが、自分にとって多少の違和感があることだとしても。(注:今朝の朝活のことではなく)

性格的な部分もあるのだけれど、はじめましての人に伝えられる言語をもたなければと改めて思う。ぼんやりとした対話のような会話が好きで、端的に的確に伝える言葉をもっていない。ある意味、「何をやっているか」よりも「ここに住んでいる」ことが重要視されるようなコミュニケーションが多いので、自分を説明をする機会があまりにも少なすぎたということですかね。

最近はとくに、さまざまな取り組みを通して地元に足を運んでくれる方が増えているので、ある程度その優しいコミュニケーションのなかに甘えていた部分もあったんじゃないかな。私自身、いい意味の曖昧さは大切にしているほうだけれど、次のステップに進むには形からでも説明できる言葉をもつ必要があって。

事業においては新しい領域にチャレンジするなかで、経験から来る言葉が少ない(当たり前だけど)ことが気になっている。

すべてを読んだわけではないけれど、数日前に書き記した世阿弥の『風姿花伝』には、年齢ごとの稽古に対する姿勢が書かれているそうです。(次に読むべき本としてリストに入れています。)

そのなかで「上がるは三十四、五までのころ、下がるは四十以来なり」という一文があるのを見つけ、分野は違えど自分自身の今後と重ねてしまうのでした。

どちらかと言えば私は、学びたい・やってみたいに年齢は関係ないと思っているし、先日還暦のお祝いにピアスを明けた方がいると聞いて「かっこいい!」と思ったくらいなのだけど(この例はちょっと違うかな笑)、それでもやっぱり、壮年前期(34〜35歳)というのは、ひとつのベンチマークとなる年齢なんじゃないかと思う。

『風姿花伝』はあくまで能楽に関することなので、40歳を超えることについて悲観しているわけではないし、むしろ楽しみだと思っているくらいだけれど、ライフステージの変化や体力的な衰えは確実に存在するだろうし、それにフィットしたかたちで進めていかないといけなくなる。どれだけ目的は変わらずとも、抗えないものがある。


そういう意味でもこの5,6年が自分のなかでは勝負だと思っていて、あと2回ほどは異なる環境に身を置いてみたい。そのうちのひとつは国外を予定していて、いまはそこに向けて少しずつできることを進めています。次の休みには、一度メールを送ってみよう。


習慣づくりはやればできる、ということもわかったGWだったので、明日から通常営業に戻しつつ、この流れを継続させていきたいと思うのでした。さて、今から記事を書き上げるぞ(笑)。

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