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鳥光物語 第3のリベロ Vol.16

旧居の斜向かいには、老舗の焼き鳥屋がある。創業は明治時代だそうで、屋号を「鳥光」という。産まれてこのかた、神戸の須磨区を離れたことがない私にとっては、幼い頃から馴染みのある店だ。一緒に過ごす時間が少なかった亡き父とも、この店には二人で入ったことがある。初めて焼き鳥を食べたのも、生涯でもっとも多く利用してきた飲食店も、たぶんこの店だと思う。

引き渡しが目前に迫った昨年の初冬、水道も電気も止めた旧居で最後の食事に選んだのは、「鳥光」の串焼きだった。空っぽになったベランダに出てみると、取り壊しの進む須磨海岸のホテルはもう低層階を残すのみになって、明石海峡大橋の隠れていた部分まで見えた。寒風に晒された肉はすぐ冷えてしまったが、見納めの風景を目に焼き付けながら頬張ると、飲めないビールもいつになく美味しかった。

炭火で香ばしく焼き上げた焼き鳥は、ともに96歳の長寿をまっとうした祖父母の好物でもあった。7年前の9月、車椅子の祖父を施設から介護タクシーに乗せて出かけた須磨海岸で食べたのは、ミンチという品名のつくねの串焼きだった。ほとんど視力を失いながら、自らの手で満足そうに口へ運んでいた。ほどなく祖父は入院し、それが最後の敬老の日になった。4年前には、独り暮らしを終えた祖母と施設へ入居する道中で立ち寄った。その頃から急激に筋力が衰え始め、足取りは覚束なくなっていたが、共にテーブルを囲んで焼き鳥を食べる様子を記念写真に収めた。

先月末の帰宅途中、母からコンロの火が点かないと知らせを受けた。新居の電池切れは初めて。単1の予備が無く、おかずを買ってきてほしいという。不思議と「鳥光」の焼き鳥が食べたくなり、バスに乗り換える須磨駅の1つ手前、旧居の最寄りの須磨海浜公園駅で降りることにした。以前まで一人前3本だったミンチも、いまは2本。実質の値上がりながら、甘辛いタレとも、レモンとも合う美味しさは変わらない。数カ月ぶりのビールとともに味わいながら、カタールワールドカップのアジア最終予選、日本の最終戦を観戦した。祖母が危篤に陥ったのは、その翌朝だった。

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