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書くは易し 運動神経が悪いということ Vol.31

先日来、勤め先のミーティングで同僚同士の意見が交わされてきた。お題は、業務のスリム化ないしはスクラップ。次長の意向を汲んだ課長から示されたもので、年齢と立場が比例しないばかりに、いまだ雑多な下働きに追われている私からすれば、これぞ「渡りに船」。前段の意見募集の機会では待ってましたとばかり、もっと簡素化させたい、あわよくば畳んでしまいたい仕事への提言を列記してみた。しかしながら案の定、意識が高く意欲に溢れた先輩方は黙っていなかった。

一つ、仕事には「研修効果」というものがあるから、簡素化ありきではいけない。二つ、仕事には「守るべき領域」があって、やめずに継承せねばならない。明らかに私案に対するご指摘を受けているときでも、私は口を閉ざしてしまう。書いていたときはいつになく積極的だったのに、いざ面と向かって議論する場になると例によって発言できなくなる。立場はもとより、仕事への熱量でも大きく及ばない人たちから正論を述べられてしまうと、反論するには相当な気力と覚悟が求められるものだ。書く力よりも話す力が重んじられる世の中、自らの無力を再認識する。

わが部署は客観的に見て、組織の中枢を担うような地位には無く、幹か枝葉かでいえば、明らかに後者に分けられる。人事部としては枝葉から幹へ人を移すのが自然なのか、私が最初に配属された15年前と比べ、人員はほぼ半減してしまった。おそらく、今後さらに減ることはあっても、増えることはない。そこで持ち上がったのが業務スリム化計画なのだが、私は意気に感じている。

人と仕事、どちらにテコを入れるか。職場の減員に面したとき、管理職者の選択肢は大きく二つに分かれることだろう。半分になった人員で従前の業務量を維持するためには、個々人の負荷を2倍にすれば計算は成り立つのだから、「残業奨励、みんなで2人分の仕事を頑張れ」などという発想にもなりかねない。ところがいまの上司たちは、業務スリム化へと舵を切った。「人が減ったなら、仕事を減らせばいい」。それは仕事よりも人を優先し、大切にすればこそ発せられたメッセージではないか。職場の末端として、この温情にはどうにか応えたい気持ちがある。

温かい上司がこしらえてくれた船に、熱い先輩方は乗ろうとしない。ここでも、話す力に押し切られてしまうのか。ミーティングが長引くにつれ、意見を書いたときの熱は冷め、改善を期した想いも弱まってきた。それでも、次の機会にぜひ伝えたいことがある。先輩、あなた方を基準にされては困りますと。この職場には、仕事を通して自己実現を果たして承認欲求を満たしてきた人たちもいれば、対象的に、燻り続けてきた私のような存在もいる。仕事の能力には「偏差」があるのだから、上位が基準になってしまっては、下位はとてもついて行けない。せめて、上下の中間に妥結点を見い出しませんかと。さて、あとはここで書いたことを話せるかどうか。言うは易しと云われるが、私にとって、言うは難しなのだ。

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