三ツ沢の青空 Footballがライフワーク Vol.37
6.00に対して、5.92。スポーツといえば、まったくやらずにひたすら観るだけの私は、観戦したゲームの内容を採点する習慣がある。中学生くらいから親しんできた「サッカーダイジェスト」の影響かもしれない。次第にフットボールのみならず他の競技も採点するようになり、2016年以降は一年間の結果を記録してきた。昨今、フットボールの次に多く観戦してきたのはラグビーで、両者は年間の平均採点でも拮抗している。ラグビーのワールドカップが開催された昨年、フットボールは冒頭のとおりわずかに及ばなかった。
小野伸二もいれば久保竜彦もいた。小笠原満男や田中マルクス闘莉王に、中村憲剛や長友佑都。中田英寿まで顔を見せた。昨年12月、中村俊輔の引退試合には、Jリーグと同時に日本代表の足跡を彩ってきた錚々たるメンバーが集結した。主役の俊輔がいまなお特別な左足でハットトリックを演じてくれたこともあり、見ごたえと愉しさに満ちた素晴らしいひとときだった。
年始といえば、国内は高校選手権の季節。動揺も影響してか、ちょうど10年前に決勝で対戦した石川県代表の星稜高校と富山県代表の富山第一高校は、震災発生直後に揃って敗退した。星稜は応援団が会場に駆け付けられない状況となったが、 対戦相手の千葉県代表・市立船橋高校の応援団が能登半島のイラストとともに激励のメッセージボードを掲げた。また、すでに敗退した神奈川県代表の日大藤沢高校のメンバーが星稜の応援にかけつけ、同校に似せた急造ユニホームを着用したという。フェイクニュースの拡散や火事場泥棒など目を背けたくなる報道が続くなか、フットボールが温かい話題を届けたことに救われる。
偉人の訃報も続いた。選手としても監督してもワールドカップ優勝を果たした最初の人物、マリオ・ザガロは、1996年のアトランタオリンピック、あのマイアミの奇跡で日本が大金星を挙げたブラジルの監督だった。試合中継直前の番組では日本を甘くみたようなコメントが紹介され、司会の渡辺正行が「おのれ〜ザガロ〜」と話していたのを思い出す。ザガロの20年後、同じ偉業を成し遂げたのがフランツ・ベッケンバウアーだ。主に守備を担いながら、攻撃の組み立てにも参加する。中盤起用が当たったマンチェスター・シティのジョン・ストーンズが「バーンズリーのベッケンバウアー」と評されるように、革新的なプレースタイルは現代に至るまで最大級の賛辞であり続けている。
近年はヨハン・クライフ、ペレ、ボビー・チャールトンなど、私がファンになった小学生の頃に「伝説」としてその名を知った大選手の逝去が相次いでいる。宿命とはいえ、選手としての姿を知らない人物がどんどん少なくなってきたのが寂しい。俊輔の引退試合に出場した選手たちも大半はキャリアを終え、数少ない現役の一人だった遠藤保仁まで電撃的に引退した。舞台となったのは、晴天の三ツ沢球技場。俊輔にとってはプロデビューした場所であり、少年時代に日本リーグの日産対読売クラブを観てプロになりたいと決意した思い出の地でもあったという。私が訪れた2016年の秋も快晴で、横浜FCの一員だった三浦知良のリフティングが手に取るように見えた。小さくても、青空に映えるスタジアムだった。同じスタジアムで、同じような距離感で木村和司やラモス瑠偉を見つめた少年が、やがて自らピッチの主役となり、40代まで現役を続けた。あの日の三ツ沢に、未来のファンタジスタはいただろうか。
この年始は、驚きも目撃した。ラ・リーガの19節では、快進撃の続くジローナが強豪アトレティコ・マドリードとの撃ち合いを制した。バルサ戦に続く4得点は、相手のロドリゴ・デ・パウルの2アシストも、アルバロ・モラタのトリプレーテをも霞ませた。同日に行われた高校選手権の準々決勝では、滋賀県代表の近江高校が鹿児島県代表の神村学園高校と対戦。好タレントの揃う神村が1点リードで折り返し、U-17日本代表の名和田我空の直接フリーキックで勝ち越して逃げ切るかに思えたが、粘る近江が土壇場のゴールで逆転してみせた。2試合連続の4-3など、30年を超えた観戦キャリアでも記憶にない。14日現在、リーグワンが活況を呈するラグビーの平均採点は5.90で、フットボールはそれを上回る6.30。名手がピッチを去り、伝説がこの世を去っても、今年のフットボールは快調に滑り出した。