義理と人情と粋な心
ふるさと納税という寄付に対して返礼品が送られてくる。寄付に対して見返りを期待するのかしないのかはさておき、日本語における様々な奥ゆかしい言葉を考察する機会となった。言葉の定義を考えていくと感情に重きを置いた東洋の考え方が見えてくる。
「粋(いき)」とは、
人情の機微(空気)を読みとって気をきかせるセンスのことで、それを言っちゃあおしまいよと言われるような無粋な発言をしないこと。
「義理」とは社会で暮らす上で守らなければいけない、正しい道理。とりわけ受けた恩を深く感じ当然の感謝をいつまでも忘れずにお返ししていくこと。返しても返しても返しきれないという純粋な感謝から出る態度や行動のこと。
「感謝」とは優しさ、贈り物、手助け、好意、その他の厚情を受けた人物がそれらを施してくれた贈り主に向けて示す、ありがたいという気持ちやその感情を表すこと。
感謝は相手がどんな苦労をして自分のためにしてくれたのかに感情移入をする粋な心から生じる。
それゆえ自分がその犠牲や労苦に対してお返しするのが道理であるという義理が働く。
粋な心が感謝を産み、感謝が義理を産む。
「人情」とは、人が生まれたときから持っている、他人への情けや思いやりの気持ち。
「情け」とは、他人をいたわる心。
「いたわる」とは、(老人や子供や弱い人などに同情して)親切・大事にあつかう。労をねぎらうこと。
つまり、人情とは、人の弱さ、不器用さ、悲しみ、骨折り、不幸な境遇など自分自身も身に覚えのある歯がゆさに感情移入を示して優しく温かく包み込んであげたくなる気持ちのこと。また慰めたり応援したくなる気持ち。
“おしん”や“寅さん”など日本の代表的な作品の主人公は人情の大切さを浮き彫りにしている。
粋な心の成長は失敗や死別や災害などの経験によっても磨かれてゆく。どんな理屈よりもまず優しい心が人に生きていく勇気や力を与えるということから感情論優位の社会が構築されてきたのかもしれない。
義理堅く人情に厚い点で最も優れているのは誰だろうか。
“エホバはモーセの前を通り過ぎつつ,こう宣言した。「エホバ,エホバ,憐れみ深く,思いやりがある神,すぐに怒らず,揺るぎない愛に満ち,常に信頼できる。揺るぎない愛を幾千代までも示し,過ちと違反と罪を許す。”出エジプト34:6,7
憐れみ深く、つまり情け深く思いやりがあるというのは、先程考えた人情の定義に当てはまる。揺るぎない愛を幾千代までも示すということは、義理堅いということを意味している。つまり、聖書の神は人情に厚く義理堅いということだ。人は神様に感謝する立場にあるが、神様が人に感謝するということがあるのだろうか。
“神は不義な方ではないので,あなた方がこれまで聖なる者たちに仕え,今なお仕え続けているその働きと,こうしてみ名に示した愛とを忘れたりはされないからです。”ヘブ6:10
命の源である神に人は全てを負っている。これが当時の人々の考えであった。
“わたしに施してくださるそのすべての恩恵に対して, わたしは何をエホバにお返ししたらよいのでしょう。”詩編116:12
“それにしても,私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このように自発的な捧げ物をする力を保てますとは。すべてのものはあなたから出ていますので,あなたのみ手から受けて,あなたに献じたのです。”歴代一29:14
ダビデは神に恩を感じていた。神もまたダビデが自分に対して行うことを喜んで受け入れさらなる恵みを示された。お返しに対するお返しに対するお返しに対するお返しに…。人に宿る感謝の気持ちは神の性質を反映している。
“次いで神は言われた,「わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造り…”創1:26
「返礼」とは、他から受けた礼に対して礼を返すこと。その礼。また、他から贈られた品物の礼に贈る品物。
神に仕えることへの“返礼品”は何だろうか?
“今あなた方は罪から自由にされて神に対する奴隷となったので,神聖さの面で自分の実を得ており,その終わりは永遠の命です。罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命だからです”ロマ6:22,23
弱さを思いやり感謝を忘れないことを大切にしていきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?