見出し画像

わたしの「働く」-Episode0-

7月14日は結婚記念日だった。

ここまでを振り返ると、
山あり、谷あり、また谷かよ。
と、思ったら実は山だったりして。
今のところはそんなジェットコースターのようで、(わたし個人的には)刺激的な夫婦生活である。

わたしは結婚するまでひとり暮らしさえしたことなかったわたしが、突然転勤族になったわけだ。

「転勤族ですか。大変ですね」とよく言われます。
はい、大変です。


夫のひと言に激おこ事変

はじめての転勤で、はじめての専業主婦生活を2ヵ月ぐらい送ったあたり。慣れない新生活と、知り合いも誰もいない孤独感からストレスが爆発。

矛先は夫に向かい、「働きに出るでも、友だちをつくるでも、なんでもいいから外に出なさい」と言われた。

そうだよね。
とりあえず働こうと思った。

苦痛な夕飯づくりを克服したく「お金をもらって料理を勉強しよう」と安易な考えで定食屋のキッチンでバイトを始めた。
たしか時給800円だか900円だかで、6~7時間働いたと思う。

7時間働くとなると、ただでさえ嫌いな家事が重荷になってくる。
夫に家事を分担制にしたいと申し出た。

わたしは6~7時間働いて、夫はだいたい毎日残業だから9時間か10時間労働。
まあ分かりやすく6時間と9時間なら比率は2:3なわけである。
したがって、家事は3:2で分担しようと申し出たのだ。
だって時間は万人に平等なリソースだもの。とても合理的だと自分では思った。

すると夫はこう言い放つ。
「いやいや、俺のほうが稼いでるんだから

今となっては、夫はもう忘れているだろう。
そして、考えも変わっていると思う。

だがしかし。
言われたこちらはその瞬間、自分のなかで静かに、でも確実に、ゴングが鳴るのを聞いた。

いつか夫の収入に並ぶか、超えるぐらい、自分の手で稼ぐ」と、わたしが働く原動力の一部になるぐらいには、深く心に刻まれた。

なお、結果としてごみ捨てと夕飯のお皿洗いが夫の担当に落ち着いた。
まさかのひと言にはぶっ飛んだものの、とてもありがたい。

仕事はもう、詰んでいた

ところが、正直仕事に関しては数年前まで「詰んだ」状態が続いていた。

定食屋のバイトは、リズミカルに包丁を使えるようになり、親子丼としょうが焼きのつくり方を覚えたころにやめた。

次は会社員のころに取った資格と実務経験を活かして、社員時代と同じ業種の会社で派遣社員として働いた。
次の転勤以降も同じように働いた。

どっちにしても、めちゃくちゃ暇だった。
午後にはもう手持ちの仕事がなくなるし、お局は仕事をまわしてくれない。
掃除もやりつくした。
することがないので資格の勉強をしていたら、「これだから派遣は…」と、中間管理職のおっさんにネチネチ言われた。

「万年中間管理職となると、こういうところにしか偉そばれないのか。哀れなくそじじいだな」と思ったのは置いといて、「だったら契約時間を短くしてもいいですか」と交渉したが、却下された。

友人に話すと、「いるだけでお金がもらえるんだから楽でいいじゃん」と言う人が多くて、さらにがっかりする。そういう人とは価値観が合わないと思って、フェードアウトした。

わたしは、時間の切り売りでしかお金を得られないのは、やばいと思った。
だって、ただ時間を売って、このままではスキルもなにも身につかない
成長が、ない。

とはいっても、数年でいなくなると分かっている派遣社員は、どこに行っても同じような仕事しか任されない

転勤生活が終わったときのことをふと想像したら、恐ろしくて鳥肌が立った。数十年の時間を失うように感じた

考えても考えても、打開策は見つからない。
当時まだリモートワークなんて普及していなかった。

働くといったら、
職場に出向いて働くか
どっかに場所を借りてor自宅で自営するかしかなかった。

前者は正社員の道が閉ざされている以上、また時間の切り売りになってしまう。
後者は転勤でその土地に長く根を張れないために、リスクが多すぎる。

「転勤族 キャリア」とかで検索しても、
「夫の赴任先に自分も転勤させてもらえる制度を使ってキャリアを継続」とか、「夫に単身赴任をしてもらって、わたしはゆるく起業(キラキラ)」とか。

…は?
Googleの3ページ目ぐらいまで読んでわかったことは、会社の制度と単身赴任の2枚のカードを持たないロールモデルはほぼ皆無という事実。

悔しかった。
(でもこのあと、場所借りて教室を開くんだけどね。それはまたいつか)

ベクトルはまだ自分に向いている

そこから紆余曲折を経てライターという職業にたどり着いたとき、
「ああ、ついに時代がわたしの味方にまわった!」と、心のなかで強烈にガッツポーズした。まだ始めてもいないのに。

でも
PCさえあればどこでも働ける。
転勤があっても辞めずに続けられる。
この事実がどれだけ希望になったことか。

ライターの仕事をちょっとずつ始めて、
そのとき働いていたバイトは閑散期になった頃合いを見てやめた。
開いていた教室も集客をやめた。

費やせる時間をすべてライターの仕事に投下した

いつだったか、わたしの尊敬する先輩が言っていた。
自分のために働くのもいいけど、ぼちぼち視野を広げてみたら?って、妻に言われたんだよね。それからステージがひとつ変わったかな」

たぶん、その当時の先輩の年齢に、わたしはもう並んでいるか、超えているだろう。
でも、わたしは未だなお、自分のために働いている。
自分のためだけに働いているといっても、過言ではないかもしれない。

「あなたのビジネスで世の中にどんな影響を与えたいか、考えてみましょう」と言われても、ピンとこない。
自分のことだって未達なのに、その先のビジョンを描けない。

執着していることも、わかっている。
でも、この手に得ていないものは、手放せない。

ところがね、そうは簡単に問屋が卸してくれないの。

時代が味方した女だもの

ライター業にのめり込み、
友だちとの飲みも断るようになった。
ジムにも行かなくなった。

それでもいいと思った。
今がふんばりどきなのだと。

えてしてブラック労働に陥り、収入の天井が見えた。

もうこれ以上、仕事に時間を投下できない。
仕事の単価、1案件にかかる時間…。
1日は24時間しかないから、収入の天井が見えてしまった
時給換算したら、絶望の2文字をつきつけられる

長時間のデスクワークによる運動不足と姿勢の悪さで、腰から裏ももにかけて電流も走った。
体もそろそろやばい。

無理は一時的にならできるけれど、
しょせん「無理」なので長くは続けられない。

2度目の「詰み」である。
なにか抜本的にしくみを変えないと。

でもね、今の「詰み」なんて大したことない。
時代が味方した女なんだから。なんとでもなる。
根拠はない。
でも、どんなに困ってもなんとかなってきたから。

転勤族なんですか。大変ですね。

はい、大変です。

でも、転勤してそこに住まなかったら出会えなかった人たち、きっと始めなかったこともたくさんあります。

結婚して早々にめちゃくちゃ悔しいひと言を叩きつけられたけど、転勤がなかったら、ライターの仕事だってしていないかもしれない。
「もしも転勤なんて経験しないまま地元に暮らし、働いていたら…」なんて今は想像もできない。
なにより、ライター業はわたしに合っていると思う。
天職ではなくても、適職とはいえる。

それに
行く先々でいろんな人たちに支えてもらってきた。
仲間もできた。

おかげで
就職活動のときにも、就職したときにも想像できなかったようなキャリアを自分のために、今、開拓中だ。

ひとつだけ、「自分以外のため」があるとするなら、今(まで)わたしを支えてくれている師匠・先輩・仲間・夫含め家族に、いつか必ず恩返ししたい

大変なこともたしかに多い。
でも、トータルで見たらGOODである。
来年の7月14日、わたしはどんな想いでいるのだろうか。


あなたが働く原動力は、何ですか?

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?