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じぶんのために書く日記

先週のことだ。
ここに引っ越してくる前に住んでいた場所で仲良くしていた友人から、ひさしぶりにLINEをもらった。

それは2年つき合った彼との結婚が決まったという、実にめでたい内容のものだった。
彼女のことはもちろん、お相手の彼とも面識があるわたしは、2人の紆余曲折もいくらか知っている。
心から「おめでとう」と返事を打った。


一昨日のことだ。
夫がいつになく上機嫌でうちに帰ってきた。
聞くと、会社で表彰されたのだそうだ。
もともとわたしは夫と同じ業種で働いていたし、身内の欲目かもしれないが夫だってまだこちらに赴任して半年ちょっとである。
なかなか成し遂げられることではないと、容易に想像がつく。
心から「よかったね、おめでとう」と伝えた。


先日のことだ。
わたしは6月から通っている近所の囲碁クラブで、相当なハンデと相手のミスのおかげで、初勝利を飾った。
「やったね!」とちょっと奮発してヱビスビールを買って帰るぐらいには嬉しかった。
相手のじいちゃんが負けてちょっと不機嫌になってしまったため、その場では喜びをあらわにできなかったのだ。
帰宅した夫に「初めて勝てたんだよね~」と言ったら、反応は「ほおん。それってすごいん?」だった。
すごいかどうかと問われたら「すごくない」となってしまう。
だって勝てた理由のほとんどが相手のミスだったのだから。
ヱビスビールは結局その日、開けなかった。


今月のことだ。
わたしは仕事とプライベートでちょっとした成果をあげた。
仕事の成果はクライアントさんが評価するものだが「じぶんのがんばり」ぐらいは自分で評価してあげたってバチは当たらないだろう。

でも、そのときの喜びを共有できる相手がいないと孤独を感じた。
わざわざ誰かに連絡するほどのことでもない。
それに夫はわたしの仕事をよく知らない。
フリーランスのこともよく知らないし「締切に追われてものを書いている」程度にしか認識していないはずだ。
夫に話しても「ほおん。それってすごいん?」と返ってくるのが関の山だろう。

家族やパートナーと同業であれば、そうした喜びなんかも共有できるのだろうが、そうじゃなきゃなかなか難しい。
チームで働いていたら仲間と分かち合えるのだろうが、ひとりで働いていたらそうもいかない。

「ちょっと聞いてほしいことがあるから今度会おう」と約束を取りつけてまで聞いてもらうことでもないし、そもそも、まだここにそんな友だちを持っていない。

だから日記をしたためる。
誰かに聞いてもらいたい嬉しかったことや、悔しかったこともぜんぶ、自分しか見ない日記に書いていく。

あらためて自分と共有するのだ。
よかったね、すごいね、そりゃ腹立つね。で、どうすんの?
そうやって自己完結できる人でありたい。
わたしの憧れる人がそうだからだ。

自分が書いた日記をあとから読み返すことはほとんどないのだけれども「2023年9月27日のわたしはこんなこと考えてがんばってますよ」と、未来の自分に伝えたい。

それを読んだ自分は「こんなことを考えていたなんて」と恥ずかしくなるかもしれないし「こんなことを考えていたなんて」と自分の成長を誇らしく思うかもしれない。

「こんなこと」が実はだいじな原点的ななにかになるかもしれない。


さみしいな、孤独だな…で終わらせない。
じぶんの気持ちはじぶんでなんとかしてあげるのだ。
憧れのあの人のように。

今日もわたしは日記を書く。
今のわたしのために。
未来のわたしに渡すために。

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