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手作りバードフィーダー

こんばんは、Amyです。

今日はDIYにハマった私が作ったバードフィーダーと、その想定外の末路のお話。

人生、そんなうまく行きっこないけれど、笑いにできたらハッピーです。

では、はじまりはじまり▶︎▶︎


時は遡り3年前の1月。

私はモノづくりにハマった。

Do It Yourself, DIYだ。

と、同時に個人的に小鳥ブームも来ていた。

ずっと「文鳥を飼いたい」と両親に懇願していたのだが、幼少期に祖父の趣味で何百羽という小鳥を飼っていた母は世話の大変さをよく知っており、私の願いは頑なに受け入れてもらえなかった。

今となっては賢明な判断だといえる。

しかし、私は諦めきれず、なんとしてでも小鳥を家に呼びたいと考えたのだ。


そしてさらに時は遡り、15年ほど前。

この頃、第1次個人的小鳥ブームが来ていた私は家にあった図鑑を広げ、小鳥を呼ぶのに使われる小鳥だんごというものを作ってみた。

小麦粉とかラードを混ぜて丸めるだけで、それを置いておくと小鳥が食べに来るという。

早速作って2階のベランダに置いてみた。

1日目、来ない。


まあ、鳥も警戒しているのだろう。


2日目、来ない。

まだ警戒しているのだろう。

3日目、来ない。


そろそろ心配になってくる。

4日目以降、来る気配すらない。


そこで私は気付いた。

こんなだんごに小鳥は来ないのだと。


空を見れば何羽もの鳥たちが飛んでいるし、朝から夕方まで何らかの鳥の鳴き声が絶え間なく響くこの空間に鳥がいないということは考えにくい。

だとすれば私のだんご以外に原因はないのだ。

カラスすら来ないのだから、よっぽど食べたくないようなだんごなのだろう。

結局小鳥だんごはその存在すら無視され、静かに姿を消すこととなった。

なんだかムッとして私の鳥への憧れは一度幕を閉じたのだった。

この失敗から10年以上の時が経ち、3年前に第2次個人的小鳥ブームが再来し思いついたのがバードフィーダーのDIYである。

実家には祖父の工具が置いてあり、道具には困らない。

私の祖父は料理人なのだが、手先がものすごく器用で、その腕前は大工泣かせだった。

家の庭にある木製の柵やベンチ、キリンのオブジェなどは全て祖父の手作りで、ドールハウスも作ってもらったし、水鉄砲や竹とんぼ、木刀などの遊び道具も全て手作りで、しまいには夏休みの工作までほとんど作ってもらっていた。

家の裏庭に4畳ほどの秘密基地を建ててくれたこともある。

祖父の作品をマルシェに出品すれば即完売で、クオリティも高く、おまけにセンスも良い。

そんな祖父が、庭にバードフィーダーを立ててくれたのだ。

確か私が幼稚園か小学1年生の頃だったと思う。

山で太い桜の木を採ってきて、枝と板を合わせて作った素朴ながらものすごくセンスの良いやつだ。

私は当時それが何なのかさっぱり分からず、ただ祖父が、庭に謎の板付きの木を刺したという事しか分かっていなかったが、母はとても喜んでいたので、このぶっ刺さった木が母を笑顔にしてくれるのならそれで良い、と思っていた。

いつでも、一家の太陽である母親は笑っていた方が良いに決まっている。

しばらくして、そのぶっ刺さった木に鳥が集まるようになった。

私の家の庭にはロウバイやハナミズキが生えており、よくメジロなどの小鳥が遊びに来ていたので窓からよくバードウォッチングをしていた。

植物大好きな祖母が色々な木や草花を植えていて、山も近いので我が家は色んな動物が集う場所であった。

集う動物に関してはきつね、たぬき、たまに子鹿、猿など全くもってオシャレではなく、ただ田舎感を増しているだけだが、魚もたくさん飼っていたし居座っていた野良猫は毎年子猫を産んだし、動物園みたいで楽しかった。

そんな我が家にぶっ刺さったバードフィーダーだが、当時恐らく母が鳥の餌をやっていたように思う。

とにかく小鳥が来るようになり、そこだけを見ればなんだか庭も軽井沢の別荘か何かのようなオシャレさを醸し出し始めた。

鳥のいる生活は、すごい。

しかし雨風にさらされそのバードフィーダーも朽ちて行き、気付けば引っこ抜かれていた。

同時に庭もバードフィーダーを引っこ抜かれてかれ急にもさくなり始め、かつてバードフィーダーがあったところには猫が穴を掘り糞尿をする始末だ。

これではかわいそうだ。

庭だって糞尿をされるぐらいなら腐った木をぶっ刺されているほうが良いに決まっている。

私は、この庭はもっと美しくなれるポテンシャルを秘めていると信じ続け、第2次個人的小鳥ブームの再来とDIYブームの到来を機に、バードフィーダーを作る事にした。 

さて、作るにあたり、まず必要なものは資金だ。

木の板1枚とっても、案外値段がする。

なるべくお金をかけずに作りたいので、母の知り合いの木材屋さんに端材をもらいに行き、支柱となる棒は父と山へ行って採って来て、祖父に道具を借りた。

設計から裁断までは自分で行ったが、インパクトを使うのはちょっとびびってしまい母に頼むと割と乗り気で引き受けた。

実にたくましい母である。

そしてできたバードフィーダーを庭に打ち込むのだが、それは父に任せた。

私はとうとう理想のバードフィーダーを作り上げたのだ。

それは斜めの屋根付きで、水が溜まらないように四隅に隙間を作りそこから排水するという構造で、鳥がとまりやすいよう足場も設置した。

そして贅沢にも、真ん中には十分すぎるほどたんまりこんもり鳥の餌を乗せてあるという、鳥からしたらこれ以上のパラダイスはないというほどの出来だ。

ノーベル小鳥貢献賞である。

野鳥に餌をやっていいのは餌の確保が難しくなる冬〜春にかけての時期に限定されているので、私は鳥が貧乏しないように心を込めて用意した。

ちなみになぜ時期が限定されているかというと、簡単に言えば自然のメカニズムを崩してはいけないという事で、命や栄養のサポートとして、自然界に餌がなくなる冬〜春までの期間は餌やりOKで、餌が豊富な春〜秋は人間が餌をやると狩りをしなくなったり、取り替えずに放っておいた不潔な餌を食べる事で鳥が病気になり、それが蔓延してしまうのでNGという事だそうだ。

なんでも始める前はしっかりと勉強をしておくべきである。

とにかく私は鳥の理想郷を作り上げた。

鳥の餌も1kg買った。

「さあ鳥よ、いつでも来なさい」

という気持ちで毎日窓から庭を見た。


1日目、案の定来ない。

まあ自然界の鳥は警戒心が強いから仕方あるまい。

2日目、来ない。


想定内。


3日目、来ない。

これも想定内だ。

4日目以降、母が「屋根に餌を撒いてみたら?」と提案して来た。

ナイスだ。

餌を撒いてみた。

来ない。


…そしてついに鳥の姿を見ることはなかった。

その隣のロウバイの木には毎日色んな鳥が来ていた。

家の屋根にも、電線にも、玄関にも来ていた。

私のバードフィーダーだけ来なかった。

家族に毎日「鳥来た?」とからかわれた。

そして実家を離れることになり、しばらくは両親からバードフィーダーの様子を聞いていたものの、私の記憶が正しければあのバードフィーダーに鳥が来たことは一度もない。

もしや、鳥には見えていないのだろうか。

あんなに盛った餌は風で飛ばされ、雨で腐り、新しく餌を撒いても同じことの繰り返しだったそうだ。

次第にそれは忘れられて行き、今となっては誰の記憶にも残っていない。


先日、久しぶりに実家に帰り庭を眺めていたら違和感を感じた。

花が減ったのか?

草を引いたのか?

いや、私のバードフィーダーだ。

ない。

とうとう、私にも見えなくなってしまった。

母に聞くと、ずいぶん前にシロアリに食われ、朽ちて来たので処分したということだった。

苦労して作ったバードフィーダーは、鳥も呼ばず、ただ餌を腐らせ、挙げ句の果てにはシロアリに食われるという人生に終わった。

なんという人生だろう。

しかしこう見るとバードフィーダーがない方が庭もスッキリして気持ち良い。

結局私のバードフィーダーは鳥を呼ぶかわりにシロアリを呼び、1kgの鳥の餌と悲しい思い出だけを残して灰となったのである。

今度はバードハウスを作りたい。

-Amy

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