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死との対面と悲しみの感情。

4/1に、実家にいた黒パグのぶうが旅立ってしまった。
そして、4/5、ウサギのソアンが続けて旅立った。

2匹とも、弱ってから亡くなるまで3日とかからなかった。
ソアンに関しては、様子がおかしくなった次の日の午前中には亡くなってしまった。


これから、桜の季節になると思い出すんだろうな。
冬が明けたこの暖かい時期に思い出すんだろうな。

どちらも、母が言い出して育て始めた2匹で、わたし自身、うちに来た当時、そこまで動物が好きだったわけではなかったから、世話をするとか、育てるとか、そういうことは全くしてこなかったんだけれど。

そして最近は、彼の家にいたから、イマイチ、実感も湧いてなかった。

わたしと、3つ下の妹が成人して、物理的、精神的に手が掛からなくなってから、母にとっては、2匹との関わりは本当に大事なものだったと思う。

時間や、労力をかけていたけれども、それでもたくさんの愛情が注がれていた。


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大事な人が、居なくなるのって、苦しい。

この2匹が続けて亡くなった件で、わたしは、全然泣いていなかったんだけれど、実家に帰って、母と話しているときにほろりと来た。

カランとした2つのケージはそのままになっていて、それをしっかりと見つめることができなかった。

今こうやってパソコンに向かって、気持ちを整理していると、涙腺が緩んでくる。ああ、わたしにとっても、大事な子たちだったんだ。

母のことばかり考えていて、妹には「お母さん大丈夫そう?」と何度も聞いたけれど、わたしもしっかりとショックを受けていたらしい。


父と、母と、わたしと妹と、犬が1匹とウサギが1羽。4人と2匹がいた家から、わたしが出て、ほぼ同時に2匹が旅立ってしまって。

家が、カランとしてしまった。

玄関を開けたと同時にバタバタ飛び出してくるぶうはもういなくて。
外から子どもの声がするのに仲間にいれてと吠えるぶうはいなくて。
台所に立つと何かもらえるかもと真っ先に飛んでくるぶうはもういなくて。

昼でも夜でもおかまいなしに爪をとぐソアンはもういなくて。
ケージを咬んでガシャガシャと音を鳴らすソアンはもういなくて。

昼間の静けさが、いなくなったことを強調させるようだった。


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今ようやく、つう、と涙が流れてきているけれど、わたしは悲しみの感情が人より欠落しているのか、『悲しい』その場面で涙が流れない事もある。

振り返って、文字を見て、写真を見て、涙してしまうことの方が多くて、欠落しているというより、その場面と対峙しても、感情がついてこれてないのかもしれない。


色々な涙があるけれど、わたしは、もらい泣き、悔し泣き、嬉し泣き、感動で泣く、寂し泣き、これらではすぐに涙が出る。悔し泣き、寂し泣きは、こっそりと流したいけれど。

『悲しい』の感情で涙が出ないというのは、困ったものだ。



いつになく負の感情が流れているこの1週間だったから、リセットするために書き始めたけれど、涙が流れたら、ふっと肩の荷が下りた。


きっと、見守ってくれていると信じて。





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