見出し画像

「選択」を『最善の選択』にするためには


自分がした選択は、必ずしも、正しい選択になっているとは限らないのかも。
それはでも、自分がいかにいま、「この選択は正しかった」と思えるかどうかで。

正しいとか、正しくないとか……。

きっと、正解はないんだけれど、あとから振り返ったときにあの時この選択してよかったなって思えたら正しい選択だと言えるのかもしれない。




🍂 🍂




上記まで、下書きに入っていた。
ツイートも、しっかり貼り付けていたから、きっと相当悩んでたんだろうな。

何の選択に迷っていたのか、全くわからない。

でもまた、続きを書き始めたということは、実は現に選択に迫られている、ということ。



「人生の選択」って、難しい。
きっと、大人になればなるほど(ここでの大人になるというのは、物理的に年齢を重ねるたび)、1つ1つの選択が自分に、そして、周囲の人に、大きく関わってくる、そしていい意味でも、悪い意味でも、影響があることが多いように思う。身に染みて感じるようになった。



武道館読んだ時も、選択に迫られてた。


自分の理想通りに、世界が回っているとは思えないけれど、それに近づくためには、自分の行動次第だと思っていて、(もちろん自分が何かしら動かないと、環境は変わるわけがない)いまがその時かな、とは思う。

近づけるかなと思ったら、そのままだった。




前職の同期に偶然、仕事中に会ったとき、自分がとても恥ずかしくて、変わるよって言って辞職したのに、わたしは全然変わってなくて、それなのに、後から踏み出した彼女は前へ進んでいた。



弱音を吐きたいわけじゃないけれど、今までで1番、自分のことが嫌いかもしれない。

自分が何者かなんてわからないし、自分以上に自分のことわかる人なんていないし、それでも、苦しくて仕方がない。


変わっているようで、変わっていなくて、逃げているだけだったっていうのが分かって、だめだった。


ただ、年齢だけが重なっていって、自分のいやな部分ばかり見つめるしかなくて。

誰にも顔向けができない。



気持ちは立ち直っているけれど、まあ、現状は何も変わってないから、苦しいままなんだけれど、やっぱり、歩き続けないとな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?