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ここまで長い道のりだった

以前、何かのnoteでも書いたと思うが、私は中高の6年間バレー部に所属していた。未経験ではあったが、友人が何人か入部するということもあり、本当に”なんとなく”で始めた部活生活だった。

始めたはいいものの、週4日プラス休日はほぼ練習試合、勉強との両立、夏には5泊6日の地獄合宿etc と言う怒涛の生活が中学いっぱい続き、高校に上がっても多少土日休みが増えただけ、という想像以上に忙しい毎日を送っていた。

今は、身体的にも精神的にも充実した”良い時間”だったと思えるまでになったが、正直言って当時は一ミリもそんな風には思えなかった。

器用だったこともあり、未経験ながらに上達は早かったし、6年間基本はスタメンで試合を戦うこともできた。ただ、当時の私には部活というコミュニティも、バレーボールというスポーツも、何もかもが”しんどい”、”辞めたい”の対象でしかなかった。周りのみんなほどバレーに熱中することができなかったし、運動部の厳しい上下関係の中で理不尽に怒られることも、顧問の機嫌を伺うことも、周りとのレギュラー争いも全てが苦痛だった。

部活がある日とない日では、天と地ほど朝の目覚めが違かったし、やりたくもない文化祭の実行委員をやったりして無理やり部活を休む口実を作ったりもした。試合ともなるともっと酷くて、胃が痛んで何も食べられなくなり、親に急いで胃薬を買ってきてもらったこともあった。なんなら、一時期部活が辛すぎて学校にも行けなくなってしまった。

強豪などでは全くなかったが、歴代の先輩たちと比べると成績が良かったために、顧問の指導にも熱が入っていたと思うし、周りのチームメイトもそれに負けじと頑張っていた。私自身もそれについていけないのはイヤだったし、期待されている学年の中で試合に出させてもらっていたメンバーとして簡単に辞めるという無責任な決断もできなかった。
それ以上に、私の中では部活のメンバーが自分の一番のコミュニティだったため、退部する=そのコミュニティから抜けるという選択を取るのが怖かった。

今となっては、学校にいけなくなるくらいなら、訳も分からず胃が痛むくらいなら、自分をそんなに追い込まずに辞めるという選択肢を考えても良かったのにな、と思う。しかし、色々なことを全部ひっくるめたこの6年間があったからこそ今の自分の核が出来上がったと思うし、卒業してからも会えるような友達に出会えた。多少厳しいことにも余裕で耐えられるし、敬語も使える。(笑)

それに何より、苦しさを知ることができた。

ここまで昇華できるようになるまでに3年近くはかかってしまったけれど、この”苦しさの感覚”と”苦しさから逃げなかった感覚”の両者を知れたことは、本当に有り難いことだと思う。そして、それはいつも慰めてくれた両親、辞めたいなら辞めなよ、と冷たいことは言わずにもうちょっと頑張ろうと言ってくれたチームメイト達、そしてこんな私でも最後まで見捨てずに使い続けてくれた顧問に感謝しかない。(今になっても顧問がどうして私をあんなに使ってくれていたのかはわからないけれど。)

当時は本当に朝から晩まで胸がザワザワしていて、本っ当にバレーを楽しむことが全くできなかった。私が部活が嫌で嫌で仕方なかったのもこれに尽きる。失敗することや怒られることばかり考えて、辛いところだけを探し出してしまっていた。一本うまくレシーブができたら、スパイクが打てたら、その成長をただ喜んで楽しめたらどんなに良かったか、と今になって心底後悔している自分がいる。

あんなに大嫌いだった試合だって、普段の練習から”バレーの楽しさ”というものを感じようとアンテナを張る努力をしていたら、レシーブの時足がすくむほど、サーブの時に手が震えるほど怯えなくても良かったんじゃないか、、、と色々考え出したら止まらない。本当に自分で自分の首を絞めていた。

(((本当に不謹慎で申し訳ないが、パンデミックになった時はもう部活に行かなくて良いんだと思って涙が出るほど嬉しかったし、そのためなら運動会でも修学旅行でもなんでも中止にしてくれ!とさえ思っていた。)))

話は打って変わるけれど、今バレーボールネーションズリーグが佳境に入っている。

というのも、部活を引退してから数年はバレーという単語を聞くのさえ嫌で、バレーボール観戦なんてもっての外だった。試合を見ていると当時のマイナスな気持ちが生々しく思い出されて、どうしてもできなかったのだ。なんなら、最近まで部活に関する不快な夢を頻繁に見ていて、顧問に怒られたり、ユニフォームを忘れてヒヤッとしたり、遅刻しそうになったり、試合でミスしたり、引退してからも夢の中は本当に散々だった。

しかし、ある日テレビをつけたらVNL男子日本代表の試合がやっていて、それを見ていてもいつもの不快感というかトラウマが襲ってこないことに気づいた。あの激強チームの見応えある試合に圧倒されたのも大きいけれど、あぁ私もバレーを楽しんで見られるところまで来れたんだ、と思ってすごく嬉しかった。ただただ辛いだけだった経験が、意義のあった経験として自分の中に落とし込まれ、頭ではなく心で真に理解できた瞬間だった。

そういう意味で今季のバレーを見られて良かったし、男女ともにパリ五輪に向けて是非とも頑張ってほしいな、と思っている。

そんなわけで、長い道のりを経てトラウマを乗り越えた話、読んでくれてありがとうございました。




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