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最近話題の「トーンポリシング」を語りたい。

どうもこんにちは、zuzuです😊
あっという間の新年度。
わたくしは本日より社会人二年目迎えました!
フレッシュマンから脱皮して、更なる進化を遂げたい、そんな春のこの良き日でございます。

今日は名作から離れて、
毎日を少しいい方向に変えてくれそうな、
気になったワードについてシェア🙌

Instagramにてパレット・トーク(@palettalk)さんの「トーンポリシングって?」と言う記事を読みました。

以下リンクを貼らせていただいています❗️

トーン・ポリシング(英:tone policing)

発生論の誤謬に基づいて人身攻撃を行ったり議論を拒否したりする行為である。発言の内容ではなく、それが発せられた口調や論調を非難することによって、発言の妥当性を損なう目的で行われる。(Wikipediaより)

んんん、もう少しかみ砕きたい。
というのも、出典がかなり学術的なお話だったので、
パレットトークさんのお言葉を借りてみます↓

『主張の内容よりも,
 言葉遣いや態度を非難する事で、
 議題をすり替えて、相手の発言を封じる。』

...あるあるじゃないか!
しかもわたしにとっては、それって全く、他人事じゃなかった。

私には姉がいます👩🏻!
基本明るくて、自分にまっすぐな人なんですが、
最近は、食卓での愚痴が少しだけ増えました。
仕事関連です。
わたしは姉を良く知っているからこそ、
なんとなく気にかかってつい



「それは姉の言い方がまずいんだよ!」

とか

「姉の態度から、悪く伝わっちゃうんだよ」


そんな風に言ってしまった事が、当たり前のようにありました。
解決すればいいなと思ってかけた言葉が、
気持ちを封じ込めてしまったかもしれない。

では何故、それに今まで気づけなかったのか?

・・・私はどんなに悪く言う人がいようが、
偶に姉の言い方態度で傷つく事があろうが、
そんなの関係なく、家族なので。そう思っているので。

でも、この姿勢って大切じゃないですか?
その意見は「良い」「悪い」ではなく、
ある」んです。
そういう意見が「あってもいい」じゃなくて「ある」んですよ。

アートもそう。
こういう芸術が「あってもいいよね?」って始めるよりも、こう描きたいんだ、こうしたいんだという熱量が世界を先行してきた。

言い方態度がどうであろうと、
姉の意見は今も「ある」。
ある」ものに対して私たちは、
受け流していこうよって考えも時に必要ですが
向き合ったり、立ち向かったり、
アクションが取れたらもっと良いですよね。

トーン・ポリシングは、海外から派生した言葉です。
そういう新しい言葉ってどんどん浸透していくけれど、
いつまでたっても外来語
日本の文化と相容れないんでしょうか。
ちょっと日本の文化と根付いた、
今思いついた言葉を二つ挙げてみます。

⭐️人の振り見て我が振り直せ。
これは好きな言葉です。
偏見をはらんだ経験譚を受けて、わたしはどう動こうか考える事って大切。
でも、何か起こらない限り、経験がない出来事に関しては、なにも動けないのでしょうか。

⭐️いじめられる側にも原因がある。
納得いかない言葉です。
そんなの当たり前なんですよ!
いじめや差別は一対一の会話じゃない。
集団圧力の悪意が加わってるのだ!
原因はあっても、いじめられる理由にはなりえないでしょ。

こんな風に日本語って、
とても奥行のある言葉だから、
良くも悪くもとれると思いませんか❓

近年、ことジェンダーに関して、西欧諸国に比べて日本は...と語られる機会が増えてきたように思います。
でもそれって、本当に日本だから、
駄目なのかな?
1人1人が自分の文化や歴史と向き合って、
前向きになれば、変えられる事じゃないでしょうか。

私たちには、
私たちの歴史や文化にあったやり方で、
物事をもっと「改良」していけると、
そうであったらいいなあと思います🌸


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