無意味について

コロナ禍をうけ政府は緊急事態宣言を発令。それをうけ、入社したばかりの会社はゴールデンウィーク明けまで休業。よって自分のモラトリアム1か月延命された、というより暇ができた。以下はその暇つぶし、として保険を掛けとく。

ところで最近『現代思想』の反出生主義特集版を読んでいて気になったのが、「意味をなさない」「無意味」「意味がない」といった言葉遣いなんだが、

まずこの語彙がどういう場面で使われるかというと、この東浩紀のツイート https://twitter.com/hazuma/status/1235517145066262528?s=21 のような感じ。

自分はここでの東浩紀に、ポピュリストとそのやり口に対する批判を読み込んだ。ポピュリストとは人々の不安につけ込み票を稼ぐ人のことだが、そのポピュリストは往々にして極論を、つまり無意味を言う。

たとえば、

感染症の拡大防止は誰もが望むが、そのために経済活動を完全に止めては、今度は経済的に困窮した者が飢えて死ぬ。ウイルスから人命を守るはずの施策が今度は別の理由で人命を奪うのだから、これでは本末転倒。だから「感染症の拡大防止」と威勢よく言うだけでは“意味がない“。問題は感染の押さえ込みと経済活動との折り合いをつけることにある。

という具合。

東浩紀のツイートは、不安に駆られパニクった人たちが、ポピュリストの威勢のいい言葉に吸収されることに対する警告あるいは未来予知の類いと思うが、ここでは「意味の有り無し」がどういう事態を述語づけるかだけ軽く理解してもらえればいい。

あと例を挙げるなら「ミイラ取りがミイラになる」とか、投資が失敗して「元(元金)も子(利子)もない」状態になるとかだろうか。いずれも、或る目的を果たすための行為が思わぬ結果を生み、その結果がその行為を動機づけていた当初の目的を否定する、という循環し矛盾する構造をもつ。

そしてこの語彙を前景化するのが、「最も効果的な環境政策は避妊、断種による人類の絶滅政策だ」といったヴィーガン、アニマルライツ系の議論と、そこから導かれる、人間は存在しない方がいい、そもそも人間は生まれてこない方がいいとする反出生主義の議論。勿論動物の権利は保証されるべきだが、権利を認めそれを保証する人間がいなくなれば、当初の権利保証を動機づけるものも消える、つまり梯子が外される。だからそうした主張や政策は“意味をなさない”。

ざっとこんな感じで無意味の語彙があらわれる場面について描いてみたが、このあとどう問えばもっと面白いことが話せるかな。『現代思想』では戸谷洋志がハンスヨナスの存在論的命令と個別的命令の区別をあげて面白そうなことを話していたが、自分にはまだその議論がちゃんと飲み込めてない。だから次回は、今回の無意味の事態に照らして戸谷議論を咀嚼したいな。

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