創作童話『ウミネコ書店』 (#ウミネコ文庫応募)
「いってきます。」
カエデは靴を履き終えると、前を向いたまま、けれどちゃんと台所にいるお母さんに聞こえるようにそう言いました。
お母さんの、いってらっしゃいの返事を背に、カエデはドアを開けます。
いつもと同じ朝です。
学校までの道のりは20分ほど。
道なりにただひたすら真っ直ぐ進めば、やがて校庭が見え、綺麗な校舎が出迎えてくれます。
校舎は夏休みの間に塗り替えられ、見違えるほど立派になり、創立70年を感じさせないほどでした。
黒ネコのカエデは、5年生になる女の子でした。
同じ学年の子に会わないように、とても早い時間に家を出ます。
お母さんには、委員会の仕事がある、と伝えていました。
学校の手前にある交差点で、カエデは右に曲がります。
コンビニと、まだ閉しまっている薬局の前を通り過ぎると、オンボロ公園に着きます。
公園の遊具たちがみなとても古びていたので、その公園は近所の子どもたちからそう呼ばれていました。
1週間ほど前からでしょうか、朝の誰もいないオンボロ公園はカエデの居場所になっていました。
本当はブランコやジャングルジムで遊びたいのですが、この公園の前を通る子もいることをカエデは知っていましたので、道に背を向けるようにしてベンチに座ります。
ベンチの後ろには背 の低い気がいくつか植わっていたため、カエデの姿をうまく隠してくれていました。
カエデはベンチに座ると、本を開きます。
その日はお気に入りの冒険小説を持ってきていました。
大切に扱っているつもりでも、本はところどころページの角が折れたり、シミのようなものがついたりしていました。
そのうちに、キャッキャッと学校に向かう子どもたちの声が聞こえてきます。
それから、始業を伝えるチャイムも。
カエデはそれらを無視して、本の世界に入り込みます。
あっという間に時間が過ぎ、公園の針が10時を差しました。
そのことを確認すると、カエデは公園を後にし、もう一つの居場所へと向かいました。
オンボロ公園に向かう道を引き返す形で、カエデはまた交差点に向かいます。
そのまま真っ直ぐと進み、マンションやクリーニング屋さん、昔からある駄菓子屋さんを通り過ぎると、左手に書店が見えてきます。
店頭には新刊の雑誌や文庫本、学習参考書などが綺麗に積み上げられています。
「ウミネコ書店」と書かれた看板の下をくぐり、カエデはそーっと中に入っていきました。
小さなその書店は、ウミネコのおばあさんが一人で営んでいて、おばあさんはレジのカウンターの向こうに座って、小さなまるメガネをかけて本を読んでいました。
いつもと同じ光景です。
一度、初めて来たときに、カエデはこんにちは、と挨拶をしてみましたが、おばあさんは耳が遠いのか返事がなかったため、それ以来カエデも特に何も言わず文庫のコーナーへ向かうのでした。
背の高い本棚には、作者の名前順に本が並べられています。
カエデの目の前にあるのは日本文学、隣の本棚は外国文学のコーナーでした。
書店には小学生向けのファッション雑誌なんかも置いてありました。
同級生の女の子たちは、読み物といえばそのような雑誌の話ばかりでしたが、カエデは小説の方がよっぽど好きでした。
カエデはその文学のコーナーで何時間も立ち読みをします。
ランドセル背負った黒ネコの少女が、朝から書店で立ち読みをしている光景はなんとも異様でしたが、おばあさんは無愛想なのでしょうか、そんなカエデに声をかけることもありませんでした。
カエデにはそれはむしろ好都合でした。
学校のことを聞かれたくはなかったし、本の世界に没頭することができます。
カエデは、最近お気に入りの小説を手に取りました。
ニンゲン、という生き物が出てくるお話です。
挿絵に描かれているそのニンゲンは、体毛のほとんどない、変わった動物でした。
お腹が空いてきたので顔を上げると、時計の針は午後1時を過ぎたところでした。
そろそろ5時間目が始まるその時間を狙って、カエデはようやく学校へ向かいます。
パタリと本を閉じ、カエデは本を元あった場所にきちんと戻しました。
「ナカハラさん、来たのね。」
「先生、こんにちは。」
「ご家族の具合は、どうかしら?」
カエデは担任の先生に、急病になった家族の入院やら見舞いやらがあるので、しばらく登校が遅くなる、とあらかじめ嘘をついていました。
連絡なしで学校をサボれば、家に電話がいって面倒なことになる、と考えたからです。
「…あまり良くありません。」
良くなった、と伝えたら、また新しい嘘を考えなくてはならないので、カエデは先生に聞かれる度にそう答えていました。
「そう、お大事にね。」
先生がそう言ったのと同時に、5時間目の始まりを知らせるチャイムが鳴りました。
「お、来た来た。」
カエデが教室に入って席に着くと、そんなヒソヒソ声が聞こえてきました。
声の主はなんとなく分かりますが、カエデは顔を上げません。
淡々と授業の準備をして、その後は真っ直ぐ黒板を見つめます。
そのうち授業が始まってしまえば、あとはやり過ごすだけです。
カエデは夏休みが明けてから、仲の良かった子たちから仲間はずれにされていました。
理由は、考えてみても分かりませんでした。
私が黒ネコだからかだろうか。毛玉が鬱陶しかったのだろうか。
初めのうちは理由が知りたくて、直接聞いてみようかとも迷いましたが、次第に馬鹿馬鹿しくなって考えるのをやめました。
カエデは学校で過ごす時間、特に中休みや昼休みが大嫌いになりました。
教室で一人、本を読んでいれば、クスクスと小馬鹿にするような声が聞こえ、かといって図書室に行っても、奴らはわざわざそこに来ては、カエデからそう遠くない距離で何やらヒソヒソ話をするのでした。
居場所を奪われたカエデは、学校にいる時間を減らせばいいということに気がついたのです。
そして朝のオンボロ公園とウミネコ書店が、カエデにとっての新しい居場所となりました。
家に帰ると、玄関にお母さんが何やら困った顔をして立っていました。
「カエデ、あなた、学校に行っていないの?先生から電話があったよ。」
どうして…?
上手くやれていると思ったのに。
「何かあったの?」
お母さんは心配そうにカエデの顔を覗き込みます。
カエデはお母さんのエプロンを見つめています。
赤いギンガムチェックの、可愛らしいエプロンですが、カエデはもう一つのデニム生地のエプロンをしているお母さんの方が好きでした。
「何もないよ。つまらないだけ。」
カエデはしばらく学校を休むことになりました。
無理して学校に行く必要はない、というお母さんの配慮でした。
「しばらく休めば、きっとまた行きたくなるわ。」
お母さんはカエデが家にいる間も、カエデの好きな料理を毎日作り、励ましてくれました。
それらの料理は、カエデにはどれもあまり味がしませんでしたが、これ以上お母さんを心配させないために無理やり喉に押し込むのでした。
学校を休んでいる間も、カエデは本を読んで過ごしました。
しかし、ずっと家にいるというのも妙な感じで、心がザワザワとして落ち着かないのでした。
「本屋さんに行ってくる。」
ある日の昼食後、カエデはお母さんにそう告げ、ウミネコ書店へと向かいました。
カエデは、ニンゲンの物語の続きが気になっていました。
それに、あの空間は一人ぼっちのカエデも受け入れてくれているようで、家にいるよりずっと気が楽なように思えました。
カエデがいつものように文学のコーナーへ行くと、あのお気に入りの小説が定位置にありませんでした。
「誰かが買っちゃたのかな。」
カエデは上から順番にその本を探してみましたが、やっぱり見当たりません。
「何かお探しですか。」
突然声をかけられ、びっくりして振り向くと、ウミネコのおばあさんが後ろに立っていました。
おばあさんの声を聞くのは初めてでした。
「果てない旅、です。ニンゲンが出てくる…。」
恐る恐るカエデがそう答えると、おばあさんはあぁ、と言い、
「すまないね。いま私が読んでいたところだよ。」
と言ってカウンターへ向かい、はい、と本をカエデに手渡してくれました。
「今日はランドセルをしょってないんだね。」
カエデはドキッとしました。
おばあさんは普段、声こそかけなかったものの、カエデがここのところ毎日来ていたことを知っていたようです。
カエデは何と言っていいかわからず俯いていました。
おばあさんはしばらくそんなカエデの様子を見守っていましたが、やがて口を開きました。
「子どもたちは、窮屈だろうね。狭い世界に閉じ込められて。大人は、自分がどこにいるかを選べるっていうのにさ。」
カエデはそれを聞いて泣きそうになりました。
悲しかったからではありません。
本当にそうだ、と思ったからです。
黙っているカエデに構かまわず、おばあさんは続けます。
「だからね、本をたんと読むのがいい。どんなことも乗り越えていけるよう助けてくれる言葉を、自分の中に蓄えておくのさ。本は、その言葉をくれるから。」
おばあさんは一言一言、区切るようにゆっくりと言いました。
そして「ウミネコ書店」と書かれた袋を取り出すと、カエデの持っていた本を丁寧にしまってくれました。
「その本はあげるよ。気に入っているようだからね。」
おばあさんは優しく微笑みました。
「いつでもおいで。」
カエデはその晩、ウミネコのおばあさんがくれた本をじっくりと読みました。
主人公のニンゲンには、たくさんの不幸が降りかかりますが、ニンゲンはしぶとくそれらに立ち向かっていきます。
カエデはお気に入りの言葉や文を見つけると、せっせとノートにそれを書き写していきました。
「今日、学校に行ってみる。」
翌朝早く起きて、カエデはお母さんに伝えました。
「そう…。大丈夫?無理してない?」
お母さんは相変わらず心配そうでしたが、どこかホッとしているようでした。
「うん。」
久しぶりに6時間分の教科書を詰め込んだランドセルはずっしりと重く、カエデの気持ちもまた、軽くはありませんでした。
「いってきます。」
玄関まで見送りに来たお母さんにそう言うと、カエデはドアを開けました。
4063字(ルビ含まず)
対象:小学生高学年以上
--------------------------------------
ウミネコ制作委員会さま企画の、童話作品募集に参加させていただきました。
↓↓
「ウミネコ」から思いついたこのお話は、気がついたら出来上がっていて、もう少し肉付けしようか迷いましたが、4000字程度ということでこのような終わり方にしました。
ウミネコ制作委員会さま、何卒よろしくお願いいたします🙇🏻♀️
あむの
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?