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第14章 2番目に生まれた娘と向き合う

産まれた時から本当に
我慢強く 笑う事の少ない

「醜いあひるの娘」が生み育てた
2番目の娘についての お話しです

やると決めたら頑としてぶれない
2歳で大きな馬に乗る…😅

「写真に向かっていい顔」が苦手🤣

中学入学と共に
この娘の決めたスポーツ
中学サッカー部で出逢った
垢の他人である1人の少年(お兄)を
何の因果か……
家族として迎え入れ
生活を始めなければならなくなった

これが娘との波乱のスタート😅

娘は私の幼少期にとても似ていた…
深すぎる想いも
沢山の陰に偏る不安も
この世に生まれた時から
いや……お腹にいる時から
互いに重なる想いを
持ち合わせていた……

お腹にいる時の母親の精神状態は
そのまま子供に反映する事を
彼女の姿を通して感じていた…

(ダッコちゃん人形)の様に
何時も私の腕にしがみつき
片時も離れなかった

1番写真がない理由はそれだ…😌

小さな彼女が泣き始めると
誰も止めることは出来なかった
とことん抱いていたヒョロッコイ
小さな娘も思春期に入る……

そんな真っ只中に(お兄)が
我が家の子供に追加された…😅

言葉数は何時も少なかったが
時々目にいっぱい涙を貯めて

「あいつを追い出して!」

「キモイ…嫌だ!」と泣いた…

(キモイ)という理由はわかる😅
同じサッカー部での日常が
酷いかまってちゃん❗️

オマケに空気読めない
白い目で周りから見られる
分からんちんのお兄の行動と共に
部活をしなければならない娘

周りとのバランスを常に考え
人に気を配り 人の目を気にし
自分の我を表現しない娘が
彼を見てどんなに
(キモく🤢)
しんどかったかと思う……🤣

色々話しかけてみるが
反応は少なく
携帯を持って部屋にこもった…

表現豊かな姉さんと違い
この娘の思春期は
繊細でとても難しかった…
腫れ物に触るかのような
私の気遣いが思春期の彼女にとっては
余計に腹の立つ要因だったのだろう

優しいが故に何につけても
常に自分攻撃感が強く
気を使われることが
哀しかったのかもしれない…
なみなみと涙を貯めることが
増えて言った……

愛するという表現の難しさを
とても考えた娘でした

最近になって……

ようやく……
私の幼い頃の事を母も
当時はそんな想いで
私を眺めていたのかもしれないと
思い返す

声に出さないが故に
意思の疎通が少なく…
私自身も 必要のない
深堀りする思考が先に経ち
彼女を余計に
傷つけていたように思える

お兄をかばった事が おお事となり
カフェに閑古鳥が鳴く
客足はパタリと止み
人気の無いカフェで
生活を続ける事は困難……

家を売るしか方法は見当たらず
熊本に移住する事になった

そんな折 娘は
街に 独り暮らしている
姉さんと同居して高校に通うと
言い出した😔
高校には近くなるとはいえ

気の強い娘2人がひとつ屋根の下で
上手くいくとは思えなかった…

娘の哀しみも分かり
日常で本人が強いて希望する事が
少なかったのもあり…
姉妹との経験も踏まえ…

不安ながら我が家の移動の前に
姉さんの家に彼女を連れていった

久しぶりに見る娘の嬉しそうな
優しい笑顔だった
あの年頃は やはり独立心が
強いのだろうな…と眺めていた
嬉しそうな娘の笑顔と裏腹に
私の気持ちはやはり複雑だった

楽しい笑顔は束の間

不安は的中し…(現実化するね😅)
姉妹で大喧嘩になった様子
話をするが~

「姉さんの言うことだけを
信じてるのよ❗️」と
感情を露わにする娘を前に
言葉はみつからなかった

この時すでに 対立する
2人それぞれの別物の(鏡)が
はっきり見えている私がいた
見えると……言葉はなくなるもの…

なだめるが……

彼女の心のシャッターは降り
突然姿を消す

まるで昔の私……

哀しみがMAXになると
姿を消すことを繰り返していたなぁ😮‍💨

娘は友人の家に身を寄せていた…

彼女の言葉は
頭の回転が良すぎて😅
感情的になればエスカレートする
それも微妙~に間違っている事から
こっちがまとめることが出来ず
どうにも返答できなくなる🤣

⚠️そうなんです……
ちょっとだけ…
独り言ですが😅
子供3人共の 一休さんバリの
言葉のチョイスに
太刀打ちできない母です🤣

手強過ぎて
なだめる事も出来ず
一人暮らしを承認するしか
道は無くなった…

何とも無力であります😞
「困難の時の頓智」は効くほうだが😅


(きっと……
これがベストな流れ!だから
他に道は無かっただけの事🤨
流れを塞き止めない事がGood😎👍)
そんな境地には行き着いていた…

「アルバイトしながら
学校にも通える!1人でやれる!」
と言いはる娘…

首根っこ掴んで連れて帰る程の
勇気もなく
田舎のカフェ全てを清算し
1番苦しい時の不安だけが残る
娘の巣立ちだった

高校の担任の先生から
夜のアルバイトを
遅くまでしてるのではないか?
学校でずっと眠っているので
心配だと 連絡が来た
母はやはり敏感なもので
薄々気づいてはいた😌

どうやら娘は夕方から夜にかけてラーメン屋さんでバイトして
その後も何やら掛け持ちで
仕事をこなしていたようだった
こちらの質問に
笑いながら素直に話してはくれたが
今の状態を変える気はないと言う

毎日毎日バイトからの帰りを
歩いて夜中の暗がりを
若い女の子が1人で帰る……😮‍💨
あまりにも心配し
毎日毎日……
考え過ぎて頭が
おかしくなりそうだった😔

考えたところで解決するすべは無い…

ここまで来ると私の思考を
変えるしかなくなってきた

何度か先生と情報交換する日々…
だんだん笑いが込上げる☺️
勉強は全くせず寝てばかりだが
クラスのバランスを取ってくれる
ムードメーカーだと聞いて
楽しくやっているのだから
良しとしなければ……☹️

そこから気を取り直し
しっかり者の娘の事を
先生と共に信じて眺める事にした

ある日珍しく娘から電話がきた

「お母さん♪̊̈♪̆̈確かさ~
8ってラッキーナンバーだったよね?」

そうね~その数字がどうしたの?

「数学の点数がさ8点だったのよ♪̊̈♪̆̈」

「えっ???😱ただの8点?
100点満点の?…8点?」
という私に…

「そう🤗  凄いと思わん?
なかなかないよ!きっと~
いいことありそう👏
でもねぇ〜赤点でさぁ~
廊下を往復〜〜やになる!
ずーっと拭かされてさぁ~😩
筋肉痛~~😮‍💨」

と言う娘
「……相変わらず凄いなぁ~🤣」


この娘の3年間ほど
生きた心地のしない
長い時間は無かった😅
心身ともにヘトヘト……😅

それでも無事で卒業し
ここにこうして生きている事に
目の前の屈託のない笑顔に
心から感謝した
親は無力です…😌

浴衣の好きな娘♡

私も小さい頃から浴衣が大好きで
二人の娘にお揃いの
浴衣を仕立てる時間が幸せで…

大きくなった彼女も浴衣を好み
何度か一緒にチョイスしに
行ったっけ……😌

大好きなしまじろうと一緒🐯


娘達と行く花火大会が
キャンプのできる季節が来るのが
とても楽しみだった…
学校の長期休暇を
子供とゆっくり過ごせる時間を
毎年楽しみに待つわたし

「醜いアヒルの娘」と言う
私の孤独感の人生が……
自ら作った渦であっても

哀しみの記憶で育った
私にとって3人の子供たちは
待ち望んだかけがえのない
(唯一無二の家族)という
宝物だった……

この映像は私の強い記憶その物…
薄暗い部屋でいつも春と桜を
待っていた

(陣取り)の「指き~った♪̊̈♪̆̈」と
繋いだ指の切れる瞬間…
皆がいっせいに走り去り

「止まれ‼️」という掛け声にも
止まることなく人はかけて
いなくなった夕暮れ…
木の下に私は1人しゃがんでいた
思い出すと
今でも心が痛い……

幼少期から私が心から
望んでいたことは
私の家族を作り やり直すこと
今になって分かった事‼️
なんとこれが😳
私の「醜いアヒルの娘」からの
脱獄劇のキーワードだったの😳

姉妹で可愛い暖かい時間♡

卒業して平穏……
静かになったはずの娘が
東京に行くと言い出した😰
コロナが収まってからにしたら?

「お母さん❗️
お父さんも お父さんのばあちゃんも
子供たちが決めたことに
口出ししないで
(そうね♪̊̈♪̆̈)って言うけど‼️
お母さんはなんでいつもそうなの⁉️」

ただ……
激動感の娘そろそろ…
安心が欲しかっただけなのかも
失いたくなかっただけ……
私のエゴを指摘された?
気がしたのかな…
その言葉が
私の胸をさした……

「わかった……」
他に言葉が出なかった

彼女はそれきり消えた…

電話番号も消えた……

数ヶ月後の私の誕生日に
「誕生日おめでとう」
とメールが届いた✉ ͗ ͗
ホットし嬉しかったが……

病気がちな娘の御守りにと
設計した保険がこのタイミングで
未納執行の連絡が来る


「思うことはあっても
今はまだ保険は必要だよ」と
娘から送られたメールに送った
返事は…

「もう連絡してこないで」

それだけだった……

何が起こったのか……
本当に分からなかった

多分……

これ程キツかったことは無い
世の中の保険の情報を憎んだ…

娘が突然姿を消した
その理由を一生懸命探した…
考えて 考えて…

(わたし何かしたっけ?
精一杯 彼女の気持ちを
大切にした気がするのに…

もしかすると母も
こんな思いをしていた?
私は気づかないうちに……
沢山 母を傷つけて
育ってきたのだろうか?

母を傷つけたが故
天からの罰なのだろうか…
同じ思いを味わえと言われてる?

この世に生まれてこなければ
良かったわたし
可愛がられていないと
思ってきたその事 自体が
母を苦しめていたから
こんな目にあうのだろうか…
他に私が何をした……?)

そんなことを永遠と考えていた…

遠くを見つめ考え込む私を
男二人は黙って観ていた…

随分 時が過ぎ
落ち着きを取り戻した時
ふと…
ひとつの答えに行き着いた

私が……
「醜いあひるの娘」と言う渦を
創り生きてきたように…

娘達もまた光を見つける為に
それぞれの闇を創造し創り出して
いるのかも知れない

色んな事を想像し
発する自らの言葉で自分を
洗脳し続け そこから
苦しい学びを創り出したとしても

それがとんでもない哀しみを引き寄せ
変化したとしても……
横道にそれた訳では無い……
どんなできごともだ…

私が今……

「ずっと 母から愛されていたんだ」
と答えが出たように

娘もまた……
沢山の季節を生きた時
それぞれの望む答えに
行き着くのだろう……

私は……
私らしく心から愛した
だからそれでいい……

思い描く私の学びたい事を
精一杯生きている
だからそれでいい……

小さい頃から哀しい事柄は
恐怖でしかなく…
事が起こる度に
「何故⁉️」
を連呼し毎回動揺し
その度に心の悲鳴をあげ暴れていた…

そんな臆病な私も
替えのきかない
1番大切なものとの決別から
涙も出せず……
悲鳴もあげれない程の
哀しみに行き着いた時

その事柄の理由を
探さなくなり
自分の悲鳴も嗚咽も
表現することなく静かに
自分を眺めるようになった時

「醜いあひるの娘」は…
私の中から消えていました……😌

自らの洗脳を解いたのは私 本人

映画「ショーシャンクの空に」は
正にその事を表現していた

苦しい時私はずっと……
この映像を自らチョイスし
見続けたという事は…?
何気に答えを……知っていたんです☺️

「ショーシャンクの空に」

この物語その物が教えてくれる
自分の過小評価から
自分の作り出す闇が引き寄せる
苦悩の果て

自ら自分が素晴らしいと
気付き完全に肯定出来るまで…😌

追い詰められることを繰り返し
そうして思考の方向変換の舵を
自らきる時が……
諦めなければいつか必ず来る

そして……
きった舵から魂が反応し
思考が軌道修正され
ぶれなくなった時
潜在意識が動きだし
光と本物の自由を見ることが出来る…
それを奇跡というのだろう……

2人の娘へ……
本当にありがとう

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