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今日ときめいた映画155ー「今朝の秋」 (生誕120年 ドラマで観る笠智衆)を見る

(写真はNHKから転載)

既出の「ながらえば」に続く笠智衆作品である。

今作品の人物像も前作とあまり変わらないと私には思えた。寡黙で一徹で頑固だけれどどこか親しみがある人物。映像の中にいるだけで絵になる存在である。演技なのか自然体なのか、でも穏やかな眼差しが一瞬鋭く光る瞬間がある。いい味を醸し出している。

この人「明治生まれの男が泣くことはめったにない」と言って、どんな監督のもとでも映像の中で泣くことを拒否したそうだが、「冬構え」という映画の中で自殺に失敗して泣くシーンがあった。これは脚本を書いた山田太一のたっての望みで撮ったシーンだそうだ。本人は泣いていないと言っているようだが。

さて、この「今朝の秋」。主人公は蓼科で一人暮らしをしている。妻は男を作って出奔してしまっていた。そこへ息子の嫁が訪ねてきて、息子が癌に犯されていて余命宣告を受けていることを伝える。

主人公は東京の病院に息子を見舞うが癌のことは伏せてあるため、四苦八苦する(癌告知は日本では1990年代だというから、1987年制作の映画では告知はまだ一般的ではなかったのだろう。私ごとだが私の父も本当の病名を知らされずに逝った1人である。とても罪の意識を感じている)そこへ出奔した妻も訪ねてきていよいよ息子は自分の病状が良くないことを察知する。

主人公は妻を激しく糾弾し拒絶するが徐々にその頑なな態度を軟化させていく。息子夫婦もうまくいっておらず妻から離婚を切り出されている。このことを娘に勘づかれて責められた母親は、せめて亡くなるまでは優しくしたいと答えるが、娘は納得しない。

「お父さんを愛せばいいじゃない。お父さんを愛しなさいよ」

と切り返され、母親は言葉を失い「努めてみる」と答える。

息子は父親との語らいの中で、自分の人生を無念の思いで振り返る。そして自分の本当の病名も知らずに死んでいくのは耐えられないことだと告げる。その時主人公は病院を出て蓼科で暮らそうと提案し、病院から連れ出す。

主人公の妻も息子の妻も孫もみんな蓼科の自宅に集まる。蓼科の自然に触れ、楽しい団欒の時を過ごし、息子は病院を出て蓼科で過ごせたことに満足して亡くなる。一度壊れかけた家族が持ち直し、再会を約して主人公とその妻は別れるという話である。
(写真はNHKから転載)

蓼科の実家での語らい。息子は生気を取り戻していく。
親子水入らずで過ごす初秋の蓼科
息子の嫁も駆けつける

この映画を見た時、ちょうど「人はどう死ぬのか」(著者 久坂部羊)という本を読んでいた。この本は、病院ではなく自宅で死ぬことを薦めていて静かに死を受け入れて、普段の時を大切にと提唱している。自宅で死ぬという思いを強くした。



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